よく晴れている。リハビリ。周囲をめぐったが、暑い。
赤いつつじ白いつつじが庭に咲く異界へむかふ径ありけり
赤、白のつつじの花の大きくて蜜の香りの溢る園すぎむとす
赤いつつじ白いつつじの咲きにけりこの道老いのよぼよぼがゆく
『論語』述而九 孔子は、「喪ある者の側らに食すれば」、十分にはめしあがらなかった。また「是の日に於いて哭すれば、則ち歌はず。」
喪のときには孔子慎み食少し哭あれば則ち歌うたはず
『正徹物語』118 或所の七夕の会に、頓阿と子息の経賢法印が出席した。経賢が「七夕の鳥」という題を取り、一首詠んで、頓阿に見せた。「思ひもよらぬ事」とて、投げ返した。経賢がまた詠みなおして見せたが、またなげ返した。また詠みてみせたるに「これも叶ふべからず」と返した。そこで経賢は「何とか仕り候べき」と、頓阿は「七夕には決まって詠む鳥があるでしょうが」といった。さて経賢が詠んでみせたところ、「これはさしつかえない」といった。披講の際に、なにを詠んだか見てみたら、鵲でした。昔は七夕でも別の鳥を詠んだものですが、二条家では、伝統から外れ異風となること嫌った。「七夕の鳥」ならば何度でも鵲を詠まなくてはならない。たしかにいつも星と鵲であるが、しかし趣向を目新しく立てようと心がけるのがよい。こうすることが好ましいスタイルにもなる。「七夕の鳥」で五首も六首も詠もうとするときは、雁でも他の鳥でも詠むのがよい。
頓阿翁のこだはりいかが風情珍しくするがよきなり
かたくなな二条家に対して、正徹には少し違った思いがあるということであろうか。
『伊勢物語』六十八段 男が和泉へ行った。住吉の郡、住吉の里、住吉の浜を、通ってゆく。心晴れ晴れとする景色である。馬からおり、腰をおろして眺める。「住吉の浜」を、歌に詠みこんでみよ」という人がいるので
・雁鳴きて菊の花さく秋はあれど春のうみべにすみよしの浜
と男は詠んだ。見事な詠みぶりに、ほかに詠みこみ歌を作ろうという者はなかった。
この歌、そんなに見事ですかね。う~ん、そうかなぁ。
住吉を歌はば海のすばらしさを技巧ではなく素直がよきなり