8月1日(火)
雷鳴とひかりきらめく夜の暗さたびたび醒めてカーテン閉めつ
夜通しを風神、雷神ひらめけばベランダしづかに雨の跡のみ
蟬一匹と蟬の翅一匹ぶんベランダに残して暗き海老名の空は
8月2日(水)
大石誠之助の死をうたふ与謝野寛 無茶苦茶の死をうたひうやむやにせず
大杉栄、伊藤野枝、そして橘宗一を手にかけし権力の手先、軍を憎む
永山則夫の死刑ありしか。抗議の声 魂消る声の拘置所にひびく
春洋の死を身も世もあらずかなしめる折口信夫堪へがたきかも
8月3日(木)
N・Nの連続四人の射殺事件まなざしの地獄と見田宗介言ひき
一家心中多きは日本近代の特質と柳田國男かつて言ひにき
ネット心中これこそがポスト近代の証しなりけり大澤真幸解説
千年の田鶴のごときがくだりくるみぞれ雪ふる北の窓にも
8月4日(金)
JR相模線青き電車のかろやかに社家、門沢橋、倉見を過ぎつ
かろやかにJR相模線相武台下たんたんと上る段丘のうへを
入谷から見わたすさがみの野の涯に大山聳ゆだうだうとして
あつち死に死にせる平清盛入道を思いみむとす中世の空に
8月5日(土)
毎日のくすりに体調ととのへてこの日々を堪ふる退院して後
宛手先書きしが微妙に違ひ帰り来しハガキ一枚書き直しをり
住所一箇所違へばハガキの帰りくるたいしたことなき端書一枚
寝て起きてへんちくりんな虫のすがたグレゴール・ザムザ巨大いもむし
8月6日(日)
あけぼの杉に日の差すころを九階に俯瞰せば八月六日みどり濃くなる
この日には八時十五分に黙祷すヒロシマはけふ暑き朝なり
天皇の来臨はなし。暑き日の一瞬の惨劇たちまちのうち
8月7日(月)
夜に鳴く蟬しばらくは鳴きつづく夜に鳴く蟬の平和を唱ふ
夢違観音像を絵に写せばここは斑鳩法隆寺の庭
九州の涯に一誌の終刊を告げてさびしき歌滅びゆく
8月8日(火)
凄まじきミステリーなり『罪と祈り』五四八頁けふ読み終はる
昭和天皇葬儀の日 誘拐事件をおこす五人の正義重たし
切なく悲しき誘拐事件元警官の死よりその記憶を解く
奇数章と偶数章で年代がかわるミステリー謎多きを読む
8月9日(水)
麦藁のハットをかぶり病院へ。採血痛し、赤き血流る
病ひこそ生のあかしか。腕ほそきに採血の針、血管を射す
MRIの日いまだ決まらず。退院よりコロナの日々経て足弱老人
8月10日(木)
空蟬をいくつか探れど蟬のこゑつひに聴こゑず中庭のうちに
あけぼの杉の根もとに蟬の竅あまたありしも蟬のすがた見せず
あけぼの杉の低き枝には空蟬のうつくしき殻あめいろをして
熊蟬のこゑも聴こえし中庭なりことしは鳴かず蟬そのものが
8月11日(金)
突然に降りくる海老名の雨の量しろくかすめるほどに降りくる
ケアマネージャーとリハビリマネージャーの二人こそわがこれからの未来を決める
われの軀を定める二人のマネージャー未来はこの二人の手の内にある
8月12日(土)
かない像なれど、絵にするのがたのしいのだ。
東大寺戒壇院の四天王その表情の厳しきものを
登大路を鹿の群れ遊ぶ脇を抜けて二月堂まで築地の道を
二月堂の舞台に立ちて奈良の町、古代のごとく国見してをり
三月堂の日光・月光もいまはなき東大寺ミュージアムへ収まると聴く
8月13日(日)
明暗に豪雨のごとき雨のふる海老名はしばし白雨のうち
半時もすれば止みたる海老名の雨、車道たちまち乾きゆくなり
朝がらす明けなむときにこゑ放つひとこゑ鳴けばあひつぎ鳴けり
ここはわが領地とひとこゑ明け早くからす鳴きたり濁みたるこゑに
8月14日(月)
朝方に窓をひらけば少しだけ風あるらしき青き流れが
じわじわつ汗あへて朝の目覚めなりなんだらうこの日々の暑さ
台風七号が東海地方に上陸と報知ありさらばわが家いかにせんとす
8月15日(火)敗戦忌
黄金虫は金持ちで金蔵を立て水あめ買ってくれました
黄金虫をうたへば調子よみがへり蔵建てざれど水飴しゃぶる
妻に聴く黄金虫の歌 判然とせねば『日本童謡集』開く
こがね虫黄金の背のうくしくけさ会ひにけりここの廊下に
8月16日(水)
紀伊半島に上陸したる台風の影響微々たり安堵せりけり
雨ふれば車道はいまだ乾かざる自動車通るもしづかなりけり
台風七号の影響か雨ふれば盆の日なれど車少なし
8月17日(木)
尾根の雲のみにひかりある山の暮れ午後五時過ぎて盆の死者帰る
盆の死者もいつかは帰る茄子の馬にまたがる父が頬笑みかへす
鶏の声まつたく聴こゑず夜が明けるこの世泰平なるかさうではあるまい
舌だみし厚木のことばに驚けり五十七年まへ「べい」のつく語
8月18日(金)
リハビリの師にしたがひてスクワット十五回わが軀よいつよみがへる
ことばのままに足を上下に腰をあげ訪問介護にぶざまをさらす
蟬のこゑこの頃聴かずと話しすればたちまちどこからか油蟬鳴く
8月19日(土)
持国天に踏みつけられし邪鬼の顔どこかに喜びの表情うかぶ
高き搭、興福寺五重塔を仰ぎみるわれら小さき人間ならむ
汗の香をたたふる木綿のTシャツを着てゆくは地蔵の盆近き夜
8月20日(日)
朝に生れて暮に死す。われらみなひとしなみに死は避けやうもなし
彌彌丸の悪鬼に遭ひて死にするに満済准后あはてたりけり
腐れ屍あちこちにある中世の京都をおもふ妖しきものを
8月21日(月)
さてさて藤原義孝の歌なるか下の句の対句好ましきもの
麗景殿女御早くに死にたるを惜しみつつ藤原義孝寂しむ
恋ひわびてよなよなまどふわがたまはなかなか身にもかへらざりけり 藤原能宣
たましひのわが軀を離れ遊ぶときこのたましひのはなやぐものを
8月22日(火)
朝の日に影ながながとあけぼの杉生気さかんなれば風に揺れをり
をかしをば人生ひとつの目的としあれこれ言はん兼好頼りに
をかし、あはれをこの軀にまとひ刻々と退院以後の日々を過ごさむ
8月23日(水)
四天王に踏みつけられし邪鬼の顔それぞれ違ふ目の大きさも
持国天に踏まれし邪鬼の表情のすこし笑へるごとしとおもふ
踏まれし邪鬼に多聞天の靴おもたからむ多聞天しつかり着衣整ふ
8月24日(木)
ひむがしへ黒き鵜三羽翔けぬける速度感あればいづこへむかふ
朝明けの雨模様なれば雲重く垂りてかしましく雨ふりやまず
卓子の表面に湿気べたつきて手のうちがはの濡れたるごとし
どの木より蟬鳴きはじむ。十方四方に耳すませども蟬の声止む
8月25日(金)
すずめ子の小さきが鳴けばかしましくこの地を歩むにすずめの声す
エポケーのごとくしづけし。中庭のあけぼの杉のまみどりの葉も
朝三粒、夕に二粒 退院の後も薬飲む。ルーティンを守り
8月26日(土)
ペットボトルの水飲み干してけふの昼、熱中症はわれの敵なり
飲み干して空色に透くペットボトル二本を叩けば楽器のごとし
叩きあふペットボトルに奏でたる「さくらさくら」はただかしましく
8月27日(日)
引き込み線を相鉄電車が音立てて朝の出立。青き車体に
引きこみ線に相鉄電車のきしむ音午前五時まへ窓より入り来
たはしが束子の格好でベランダにころがる束子はたはし
8月28日(月)
朝がらすみなみの空に鳴き放つなにか申してをるかのごとく
惜しまれてクンデラも死すこの世から抵抗体のひとつが消えつ
雲中を三本のひかり折れ曲がり地上を撃てり雷神の怒り
8月29日(火)
目を盲ひし北原白秋。心弱くなり別れし妻をおもはぬものか
ここ過ぎてゆくよりなきか妻二人捨てて文芸の道進むもあはれ
小田原のみみづくの家にはしやぎしは江口章子なり離縁されにき
寂聴の書きしはおほかた二番目の妻のこと執拗に歎きたりけむ
寂聴は江口章子を好めるか多くを割きつ章子のことに
8月30日(水)
九階のベランダに来てゐる蜻蛉のその名覚えず黄色の胴体
みんなみの夕焼け雲のあかね色かへるとうたふ烏をりにき
山の上に入道雲の湧きだせる夏の山いつまでもあかね色して
8月31日(木)
けやきの葉のさやさや声。ささやきの聴こゆるときをわが歩みゆく
エアコンの室外機に夜の明滅が映るひかりの反射寂しき
咳止めに吸入せむか日に二回コロナの後を安らぐために
小豆バー冷たき氷菓頬張りて暑さの夏を越へむとしたり