気温も高くなるようで、歩いていても暖かい。少し速く歩こうとするとうっすらと汗をかくようだ。
昨日、なぜか「かなりや」のメロディ、そして歌詞がぼんやり浮かび、いつか口ずさんでいた。早速、『日本童謡集』(岩波文庫)を開き、「かなりや」を確認。西條八十の作詞であった。その世界を、短歌に移してみる。
唄を忘れたかなりやを棄ててはならず象牙の船にのせませう
かなりやを後の山に捨ててはならぬ月夜の海に浮べませう
かなりやを柳の鞭にいたぶるな銀の櫂にて海へ漕ぎだす
やっぱ、童謡は凄いね。
『論語』雍也二二 樊遅が知を問う。孔子が答えた。「民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂ふべし。」また仁を問うた。「仁者は難きを先きにして獲るを後にす、仁者と謂ふべし。」
なるほど、これは分かりやすい。人として正しいことを孔子は教えたのだろう。
樊遅が問ふ知と仁を孔子は解けり難解にあらず
『正徹物語』101 「暁の夢」という題でこう詠んだ。
・暁のね覚は老の昔にて宵の間たのむ夢も絶えにき 草根集5059
「暁のね覚めせられしは事は、老にも四、五十の昔の事だ。今は宵にも寝られない。」
まあ、そんなものだ。私も67歳、えらく早く目覚め、朝方は眠れない。
暁のね覚めは遠き昔の事たのしき夢から遠ざかりをり
『伊勢物語』五十一段 男が、ある人の邸の植込みに菊を植えた。そして詠んだ。
・植ゑし植ゑば秋なき時や咲かざらむ花こそ散らめ根さへ枯れめや
この相手の邸とは、男が愛する女性の住むところだろう。だから丁寧に植えた菊のように、いつまでも枯れない。思いは途絶えることがない。
植ゑし植ゑばつきせぬ菊の花が咲くごとくに恋も絶えせずつづく