2024年3月31日(日)

青天、外気は暖かいが、室内はそれほどでもない。午前中に厚木駅をぐるっと回って、北へ海西中を経て、踏切を越え、公園に入って、ルアンジュへ。けっこう歩く。

  こんな日は『左川ちか詩集』が相応しき「私の感情は踊りまはる」

  踊りまはるごとくに風の中を舞ふ左川ちかに扮し悲しみ追ひ出だす

  人の世を生き抜くための防御癖こしらへ歩む林の中へ

『論語』雍也一五 孔子が言う、「孟之反(魯の大夫)は功を誇らない。敗走してしんがりをつとめたが、いよいよ城門に入ろうとしたとき、その馬をむちでたたき『敢へて後れたる非ず、馬進まざるなり』」と言ったわけだ。孔子が好む大夫のエピソードだな。

  人の上に立つ者ならば言い回しも易しく誇らず受けとむるべし

『正徹物語』94 述懐の歌は、連歌とは違い、「何にても心におもふ事を詠むなり。」

「懐ひを述ぶる」というのだから、祝言であっても詠んでいい。定家は、
・たらちねのおよばず遠き跡過ぎて道をきはむる和歌の浦人 拾遺愚草1495
などと詠んだ。

  述懐は懐ひを述ぶることなれば祝言こそは詠むべかりけれ

『伊勢物語』四十五段 男がいた。その男へ、思いを告げたいむすめがいた。大事に育てられたむすめである。しかし思いを口にすることができず、病をえた。

いまわにきわに「こんなにも、思っていたのです」とようやく口にだした言葉を、親が聞いた。そのむすめの言葉を、親は泣く泣く男へ告げた。

男は、うろたえてやってきたが、むすめは死んだ。なすこともないまま、男は女の家で、喪に服して籠った。時は水無月のつごもり。暑いころである。宵に魂鎮めの管弦を奏で、夜は更けていった。わずかに涼しい風が吹く。蛍が高くとぶ。男は、臥したまま歌を二首詠んだ。
・行く螢雲の上まで往ぬべくは秋風吹くと雁に告げこせ
・暮れがたき夏の日ぐらしながむればそのこともなくものぞ悲しき   
哀愁に満ちたこの二首の歌、いいですね。ちょっと感動的ではありなせんか。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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