2024年3月30日(土)

朝から晴れて、青天。本厚木へ買物に行った。小田急線に往復一駅、されどよく歩いた。午後もクリエイトを中心に歩く。

  あけぼの杉の天辺あたり陽はあたり燃ゆるがごとし朝のひかりに

  ひさびさに空が明かるく(ひら)けゆく弥生下旬の今日なればこそ

  老いたればしかめっ面をするらしいほんとは笑顔が笑顔にならぬ

『論語』一四 子游が武城(山東省費県南西)の宰(とりしまり)になった。孔子先生が「お前は、人物を得られただろうか。」というので答えた。「澹台滅明(子羽・孔子の弟子)という者がいます。歩くに近道を通らず、公務でないかぎりは、決して私の部屋にはやってきません。

  澹台滅明といふ素敵な名をもつ男ゐる公事にあらねばわが室にあらず

『正徹物語』93 内裏仙洞の会では、臣下の歌をすべて披講すると講師は退く。再び吟詠する段になり、おもむろに御製を懐中から取り出し、摂政などに下し、別の講師が参上し披講する。御製は七度披講する。臣下でも摂政などは三度披講。将軍の歌も近年は三度。

  御製を読むときは七度読みあげる摂政、将軍も三度披講す

『伊勢物語』四十四段 地方へ赴任する友のため「馬のはなむけ」を開いた。友のため、妻の侍女に盃をささせ、妻の着ていた装束を脱がせて、はなむけに贈った。そして、歌を詠んで装束の裳の腰紐に結びつけさせた。
・出でて行く君がためにとぬぎつれば我さへもなくなりぬべきかな

送別の歌としては、飄々としたものだから、じっくり吟じたりせず、腹の中で味わうがよい。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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