ようやく朝から晴れである。やはり晴れているだけで、明るい気持ちになる。リハビリ、塗絵の課題あり。
キッチンにビニール手袋が生きてゐるまるで人の手うごきはじめる
不可思議のキッチンの棚夜になれば扉が開き皿、碗とびだす
夜に入れば皿鳴る、碗鳴る、スプーンが叩き叩いて大騒ぎなり
『論語』雍也一二 冉求が言う。先生の道を学ぶことを喜ばぬわけではない。しかし力が足りない。そういうと孔子が「力の足りないものは中途でやめることになるが、今おもえは自分から見切りをつけている。
なかなかに孔子の教へは厳しくて冉求おまへはかつてに画る
『正徹物語』91 為氏の、
・人とはば見ずとやいはむ玉津嶋かすむ入江の春のあけぼの 続後撰集41
を、父の為家が勅撰集に入れようとして、二句は「見つとやいはん」としていれるがよいだろうと言われた。為氏は父子のあいだであるから、御意のままにと思われたが、しかし「見ずやといはん」も一興の体である。こう言って問題ないのではということになり、続後撰集に採られた。この話によって、勅撰集に採られる和歌のスタイルを知ることが出来よう。この歌は玉津嶋に面と向かっていて、霞が立ち込める曙の風景を、人が尋ねたら「見た」と言おうか、「見ない」と言おうか、ということ。どちらでも同じであるが、それでも「見た」とするのは素朴実直なスタイルである。
勅撰に選ばるるのは実直か虚構かあれど実を重んず
『伊勢物語』四十二段 男、色好みと知る知る、女と情をかわした。多情を恨んでもいいのに、男は憎まなかった。男は女のもとに通い詰めた。それでも男は女の心変わり恐れた。二、三日ほど、行けない日があった。男は、女に詠んだ。
・出でて来し跡だにいまだ変はらじを誰が通ひ路と今はなるらむ
女をうたがって、男はついこんなふうに詠んだ。
なんとなく、なさけない男に思える。