2024年3月26日(火)

今日も朝から雨、次第に強く降る。

昨夜、徳田秋聲『あらくれ・新世帯』を読み終える。このところ秋聲が気になっていて、とりあえず岩波文庫のこの一冊を読んだ。「あらくれ」はお島が主人公、男をたびたび変えて東京と山国をいったりきたり、よく働く。だから女にして「あらくれ」なのか。また「新世帯」、「あらじょたい」と読むは、新吉とお作、そこにお国がからむ。いづれも、しばしばその自然描写に驚く。そして、そこが魅力でもある。一節だけ上げておく。「その晩は月はどこの森の(は)にも見えなかった。深く澄みわたった大気の底に、(ぎん)梨地(なしじ)のような星影がちらちらして、水藻のような蒼い(も)(や)が、一面に地上から這いのぼっていた。」随所に優れた描写があり、それぞれの人物にも生彩がある。

徳田秋聲の自然描写を愉しみて「あらくれ」「新世帯」読み終えたりき

  朝の雨に寂しく鳴くはひよどりの一羽雌呼びいくたびも鳴く

  雨に打たれ白き木蓮散りはじむ地に無惨なり(はなびら)落とす

『論語』雍也一一 孔子が言った。「賢なるかなや回。一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り。人は其の憂いに堪えず、回や其の楽しみを改めず。賢なるかなや回。」

  顔回を褒めて孔子は二度もいふ「賢なるかなや回」「賢なるかなや回」

『正徹物語』90 「いづくにか今夜はさねん」といっても、少しは寝ているのである。
・いづくにかこよひはさねんいなみのの浅茅がうへも雪降りにけり 新後拾遺924

「さ」は接頭語。

  いづくにか今宵はさねん紀の国をめぐりて夜の宿のあてなし

『伊勢物語』四十一段 昔、あねといもうとがいた。一人は身分が低く貧しい夫、もう一人は身分の高い夫をもっていた。身分の低い夫をもった女が、年の暮れ、夫の式服をみずから洗い張りをした。そのような仕事には慣れていない。式服の肩の部分を破いてしまった。女は泣くばかりである。男はあわれに思って、女の夫の官位にあう美しい緑色の式服をさがし、歌を添えておくった。
・紫の色こき時はめもはるに野なる草木ぞわかれざりける

この歌は、
・紫の一本ゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る
を踏まえて詠んだに違いない。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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