なんとなく曇り空。あいかわらず寒い。もう三月下旬。染井吉野の開花情報も高知だけだ。
どことなく寂しき思ひに湯に浸かるああとため息この日々の果て
湯気にけぶる鏡に映るひょっとこづらひょうげて踊るわれならなくに
街の灯は遠くに見えてまだ明かる終夜灯るか海老名の町は
『論語』雍也九 季氏が閔氏騫(孔子の門人。子騫)を費の町の宰にしようとした。閔子騫は言った、「善く我が為に辞せよ。もしまた私に勧める者があれば、私はきっと汶水のほとりに行くことでしょう。
閔子騫、季氏に使はれること良しとせず汶のほとりへ逃れるべしや
閔子騫はなかなか潔い人だ。
『正徹物語』88 定家の「忘るる恋」、
・忘れぬやさは忘れける我心夢になせとぞいひてわかれし
この歌も、すぐには理解できない。勝定院(足利義持)の時、正徹と孝雲にこの歌について質問があった。二人の趣旨は違った。その頃洛中で評判したのは、私が、やはり正しい。恋人と約束を交わしても、現実と思えないまま「無かったことにしましょう」と言ったことを単に「忘れぬ」のでは、すっかり相手を忘れたことになる。そうではなくて「無かったことにして忘れて下さい」と自分から言って別れたのに、そのことを忘れてしまった。だから相手のことは決して忘れられない。こんなふうに定家の歌は題に心底共感し、その中に乗り移って詠んだ。定家の「恋の歌」に並ぶものはいない、家隆でも及ばない。
・さても猶とはれぬ秋のゆふは山雲吹く風も峰に見ゆらむ 新古今1361
・思ひいでよたがかねごとの末ならむ昨日の雲の跡の山風 新古今1294
などが匹敵するでしょう。孝雲が言ったのは、「忘れぬや」とは、相手に対して「忘れたのか」と尋ねたという意である。
定家の
・やすらひに出でにしままの月の影我涙のみ袖にまてども 拾遺愚草876
・白妙の袖の別れに露おちて身にしむ色に秋風ぞ吹く 新古今1336
「極まれる幽玄の体なり。」これらも簡単には理解できない歌である。
今回はなかなか難しい。だいたい幽玄など現代の短歌にはない。
春の盆の日雨しとど寒きがなかをおもひしやきみ
『伊勢物語』三十九段 西院の帝(淳和天皇)には、娘があった。皇女崇子という。
その崇子が十九で亡くなった。その葬送の夜。西院の隣に住んでいた男が、葬送を見送ろうと、女車に、女と同乗した。皇女の柩車はなかなか出ない。そんなとき、色好みで知られた源至も亡き皇女の見送りにきていた。至は、女車に男が同乗していると思わず、近づいた。至は、たわむれに口説きはじめた。やがて蛍をつかまえ、女車へ放った。乗っていた女は、蛍の灯りに顔が見られてしまうと恐れた。男は、女にかわって詠んだ。
・出でて往なば限りなるべみ灯火消ち年経ぬるかと泣く声を聞け
至は、返した。
・いとあはれ泣くぞ聞こゆる灯火消ち消ゆるものとも我は知らずな
色好みの至にしては、並みの歌だろう。源至は源順の祖父にあたり、亡くなった皇女の血筋の者である。至の行いは、皇女にとって不本意なものであった。
源至よ、大丈夫か。