2024年3月23日(土)

朝は降っていなかった。10時前には、小さな雨。寒い。雨が降ると、「君が心をくれたから」を思い出しては、目頭が熱くなる。泣けるドラマであった。

  雨ちゃんと太陽くんの物語、奇蹟に涙したたりやまず

  雨ちゃんが五感を失ふ展開の泣けてならねば録画を止める

  永野芽衣の笑顔がなんともいへずよし笑顔みたくてテーマ曲聴く

『論語』雍也八 季康子が問うた、仲由(子路)は政治をとらせることができますか。」

孔子の答え、「由は果断です。政治をとるくらい何でもない」。「では賜(子貢)はどうですか。」「賜は何事でも通達する。政治をとるくらい何でもない」。求(冉求)はどうでしょう。「求は才能豊か。政治をとるくらい何でもない。」

弟子の人物評価でしょうか。子路、子貢、冉求は高評価である。

  子路も子貢も冉求も政治を執れる孔子答へき

『正徹物語』87 「忘るる恋」の題で、こう詠んだ。
・うきものと思ふ心の跡もなく我を忘れよ君は恨みじ

「忘るる恋」は、何度でも相手が自分を忘れること。相手が何を忘れるか。交した約束を忘れるのである。私を嫌い、嫌だと思うことは忘れない。この私を憎い、嫌だと思う気持ちもきれいに忘れてしまえば、未聞不見の人のようだ。そんな風に契りを忘れるとというなら、全て忘れてしまえ。その時は決してあなたを恨むまい。私を嫌って避けることは、忘れてくれないことが遺恨である訳なのだ。

  忘れられぬ恋あるべしや思ひだすことのくさぐさに心を残す

『伊勢物語』三十八段 紀有常のもとを、男は訪ねた。有常は外出し、あちこち歩きまわり、遅くまで帰ってこなかった。有常に、男は詠んだ。
・君により思ひならひぬ世の中の人はこれをや恋といふらむ

有常の返歌。
・ならはねば世の人ごとに何をかも恋とはいふと問ひし我しも

遅くなった侘びはないのかな。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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