2024年3月22日(金)

今日も晴れているが、寒い。リハビリ。

木村朗子、さえこと読むらしい。『妄想古典教室』(青土社)を読む。楽しかった。この人の本は、最近『百首で読む「源氏物語」』を読んだところだが、これも楽しく、後日ここにも登場することになるはずだ。「あとがき」にこうある。「むかしむかし、私の学生時代には品川駅から出る大垣行の夜行列車があった。大垣から米原に出て、さらに乗り継いで奈良に着く。(略)寺社をめぐって仏像、神像を見て歩いた」という回顧からはじまる。木村さんは1968年生まれというから、私より若い人だが、私も同様の体験をもつ。大垣行の夜行普通列車を利用して、何度大和へ行ったものか。この列車がなければ私の大和狂いはできなかっただろう。大垣駅での洗面の時を今でも思い出す。長くなったが、この本を読んで、あれこれの神社、寺院。あれこれの絵巻、あるいはピット・リヴァース博物館の魔女入りのボトルなどを見て、妄想したくなった。とりあえずわが家からそう遠くない江ノ島の弁財天像に逢いにいこうか。

  日なたにはモクレンの花春の色日翳りの木はいまだ冬の木

  朝から明けのカラスの濁りごゑ遠近に鳴く町ひらけゆく

  モクレンの蕾が開きつぼ型のかたちにひらくいまだ寒き日

『論語』雍也七 孔子が言った。回は三月も心を仁の徳から離さない。他の者なら一日か一月のあいだだろう。」

  顔回と其の余の者をくらぶれば心を仁から離すことなし

『正徹物語』86 為継(法性寺と号した)は、隆信(定家の異父兄。似絵の名手)の子孫。信実は隆信の子である。信実は人麻呂を画いた。絵師ではないが、信実以後代々家風を伝えて絵をよく画いた。法性寺の現在の当主為季は歌も詠まず、絵も画かない人だ。

  人麻呂を絵に画きし藤原信実を褒めたるか当代のだめさをいへり

『伊勢物語』三十七段 男が「色好みなりける女にあへりけり。」女の心変わりを不安に思い、詠んだ。
・我ならで下紐解くな朝顔の夕かげまたぬ花にはありとも

女が返した。
・二人して結びし紐をひとりしてあひ見るまでは解かじとぞ思ふ

なんだか直接的過ぎるようなやりとりに思えますが。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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