2024年2月28日(水)

朝から天気よし。しかし昨日ほどではないが風あり。

  人生の晩年をいかに生くべきか悩みあり薬の副作用に悩み

  下半身に赤い発疹、微熱あり倦怠はかく言ふまでもあらず

  いまだこぬ飛燕をおもひ翻るそのすがた恋ふ春の鳥なり

『論語』公冶長十一 孔子が言った。「吾れいまだ剛者を見ず。」或る人が答えた。「申棖(孔子の門人。魯の人)ではありませんか。」孔子が答えた。「申棖には欲がある。どうして剛といえようか。」

  申棖(しんとう)を知らねど欲を捨てがたき人ならむ魯の人といふなり

『正徹物語』63 「なげの情け」は、ちょっとした情けである。「いざ今日は春の山辺にまじりなむ暮れなばなげの花のかげかは」(古今集・95・素性)の「暮れなばなげの花のかげかは」の「なげ」は「無げ」である。「暮れたればとて、なかるべき花か」といった意である。
なかなか細かいが、この時期『古今集』の歌が分かりにくくなっていたようだ。

『伊勢物語』十三段 昔男、京にいる女のもとへ、「聞こゆれば恥づかし。聞えねば苦し」と書いて、上書きに「武蔵鐙」と書いた。その後、男からの音信は絶えた。女は、
・武蔵鐙さすがにかけて頼むには問はぬもつらし問ふもうるさし

男は返信をみて、「たへがたき心地しける。」そこで次の歌をつくった。
・問へば言ふ問はねば恨む武蔵鐙かかるをりにや人は死ぬらむ

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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