2024年2月27日(火)

いい感じに朝が明けてくる。橙色に群青色の空が浸潤されてゆく。そして日の出だが冷えているし、北風も強い。

一巻の絵巻のごとき人生を夢に観ずるに現実(うつつ)違へど

  神棚の榊に粒実ひそかなり春の精霊ただよふごとし

  たましひに紙やすり掛けて削るごと違和感ありきけさの体調

『論語』公冶長一〇 宰予、昼寝ぬ。孔子が言う。「くさった木には彫刻できない。ごみ土の垣根には上塗りできない。叱ってもしかたがない。」孔子がまた言った。「前に私は人に対するに、ことばを聞いてそれで行いまで信用した。今はことばを聞いて、さらに行いまで観察する。宰予のことで、こう改めたのだ。」

  だらしなき宰予のさまにことばのみか行ひを観る判断のために

『正徹物語』62 「夕づくよ小倉の山に鳴く鹿のこゑのうちにや秋はくるらむ(古今312貫之)」は昔から疑問とする歌だ。詞書(なが月のつごもりの日大堰にてよめる)から九月尽の歌であることがわかる。「夕づく夜」は四日、五日の頃。どうしてか。万葉集に色々ある。「夕月夜」は夕から月の出る頃をいう。また「夕付夜」は、月ではなく、ただ夕方から次第に暗くなり夜になる時間帯を「ゆふづくよ」という。古今集の歌もこれで、「夕付夜小倉の山」と詠んだのである。

  ひらがなに「ゆふづくよ」とあれば分かり難し「夕付夜」なり貫之の歌

『伊勢物語』十二段 昔男、人の娘を盗んで、武蔵野へつれてきて国の守につかまった。草むらに女を隠し逃げた。女は焼かれそうになって、こんな歌を詠んだ。
・武蔵野は今日はな焼きそ若草のつまもこもれりわれもこもれり
女も男もつかまった。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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