2024年2月26日(月)

二・二六事件から88年。いまも暴力の時代かもしれない。

朝晴れ。久しぶり。昨日まで雨だった。

  我が町に雨ふるときは遠き山の丹沢山塊雪になるらむ

  十六夜残りの月の山の上に明るきときは「後朝」思ふ

  「後朝(きぬぎぬ)」といふ美しき語をおもふ老いには恋も遠き思い出

『論語』公冶長九 孔子が、子貢に言った。「おまえと顔回では、どちらがすぐれているか」。子貢が答える。「顔回は、一を聞きて十を知る。私は二を知るだけだ。」孔子が言った。「及ばないね。わたしもお前といっしょで及ばない。」孔子にはユーモアもあるようだ。

  子貢に聞く汝と回といづれかまさるわれは到底回の下なり

『正徹物語』61 万時(万葉集時代考)という定家(本当は俊成)が考証した本がある。貴重だ。為秀自筆本を了俊がくれた。「人のほしがられし程に出だし侍りき。」淡々とした内容である。

  そつそつたる内容なればか簡単に了俊が(あ)にくれしものなり

『伊勢物語』十一段 昔男が、東国に旅立った。友たちへ便りをよこした。
・忘るなよほどは雲居になりぬとも空ゆく月のめぐりあふまで

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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