2024年2月23日(金)

冷たい雨が降っている。寒い日である。

昨日、恩田陸『灰の劇場』を読み終える。1994年4月29日に飛び降り自殺した二人の女性の記事に反応する作者。小説は、作者(必ずしも作者本人ではないが、作者にもっとも近い存在)と自殺した二人の視点から語られ、複雑な様相を呈するが、なかなか読み解きがたく、面白く読んだ。

  不可思議はこの小説に死ににける二人と作者のつながりあらず

  鳥の羽根の頻りにふりくる舞台には誰も彼も見えず死ぬ二人なり

  白ならぬ汚れて灰色の羽根ふり(く)天からふり(く)死にし二人に

『論語』公冶長六 孔子が、漆雕(うしつちょう)(かい)(孔子の門人)を仕官させようとした。ところがわたしはまだ自信が持てないと言った。孔子はそれをよろこんだのだという。ここも謙虚であることが大切だということか。

  漆雕(しっつちょう)(かい)のごとくに謙虚であることを孔子はよろこぶ慎重さゆゑか

『正徹物語』58 「本歌をとるに、二首取りたる歌いくらもおほきなり。」この時代のことだろう。もちろん現在も本歌取りの技法は生きている。

  本歌に二首をとりこむ歌多しいくらもあると正徹言ひき  

『伊勢物語』八段 京に住み憂かりけむ(高貴な女性と愛をかわしたが、結局失恋したこと)、あづまの方に住む所求むとて」、友とする二人と旅をした。途中、信濃の浅間山に煙りが立つのを見た。
・信濃なる浅間の嶽に立つ煙をちこち人は見やはとがめむ

「をちこち」は「あちこち」 あちらこちらの人がみな、なんとも不思議な光景と思わずにいられようか。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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