冷たい雨が降っている。寒い日である。
昨日、恩田陸『灰の劇場』を読み終える。1994年4月29日に飛び降り自殺した二人の女性の記事に反応する作者。小説は、作者(必ずしも作者本人ではないが、作者にもっとも近い存在)と自殺した二人の視点から語られ、複雑な様相を呈するが、なかなか読み解きがたく、面白く読んだ。
不可思議はこの小説に死ににける二人と作者のつながりあらず
鳥の羽根の頻りにふりくる舞台には誰も彼も見えず死ぬ二人なり
白ならぬ汚れて灰色の羽根ふり来天からふり来死にし二人に
『論語』公冶長六 孔子が、漆雕開(孔子の門人)を仕官させようとした。ところがわたしはまだ自信が持てないと言った。孔子はそれをよろこんだのだという。ここも謙虚であることが大切だということか。
漆雕開のごとくに謙虚であることを孔子はよろこぶ慎重さゆゑか
『正徹物語』58 「本歌をとるに、二首取りたる歌いくらもおほきなり。」この時代のことだろう。もちろん現在も本歌取りの技法は生きている。
本歌に二首をとりこむ歌多しいくらもあると正徹言ひき
『伊勢物語』八段 京に住み憂かりけむ(高貴な女性と愛をかわしたが、結局失恋したこと)、あづまの方に住む所求むとて」、友とする二人と旅をした。途中、信濃の浅間山に煙りが立つのを見た。
・信濃なる浅間の嶽に立つ煙をちこち人は見やはとがめむ
「をちこち」は「あちこち」 あちらこちらの人がみな、なんとも不思議な光景と思わずにいられようか。