天気はいい。ただ空気はそれほど暖かくならなそうだ。
さくら餅を三つ贖ひ帰り来し妻がはこべる春もあるべし
目の前の卓上に在る桜餅見ているがけで餡の味する
さくら餅のさくら葉を喰ふか食はぬか大問題なり
『論語』里仁二一 孔子が言う。「父母の年は知らざるべからず。」一つにはそれで長生きを喜び、一つにはそれで老い先を気づかうのだ。これも孝というのだろう。
父母の年齢は覚えておくべきなり長寿を喜び老い先気づかうふ
『正徹物語』47 家隆の歌に、
・人づてに咲くとはきかじ桜花吉野の山は日数こゆとも
これは古今和歌集の恋歌に、
・超えぬまに吉野の山の桜花人づてののみ聞きわたるかな 紀貫之588
とあるのを「句の置き所こそ少しかはりたれ、心も詞も同じ物にて侍るは、いかなる事にや」と尋ねると「これはよいのである。本歌は恋だけれども季節の歌に詠み変えてある。本歌取りには様々な手法がある。「本歌にすがりたる体、本歌贈答の体」といってこのように詠む。定家と家隆も違っている。定家は本歌の内容をそのまま取って詠むことはない。家隆には本歌と同じ内容の歌がままある。
詞と内容そのままに本歌に依拠する家隆の歌
定家には工夫があつて本歌の心を取りて詠むことはなし
「百人一首」藤原定家撰。後半
・めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月かな 紫式部
・玉の緒よ絶えなば絶えね長らへば忍ぶることの弱りもぞする 式子内親王
・ももしきや古き軒端の忍ぶにもなほあまりある昔なりけり 順徳院