2024年2月9日(金)

割合、朝から暖かいが、空気は冷えている。リハビリがあり、終ってから海老名へ行ってきた。

  自動車の行き来はげしき県道を見てゐて信号機赤色長し

  駅近きローソンを過ぎ小田急線に一駅乗車す書店に行きたし

  右に左にふらつきながら駅からの道、警察小説二冊を胸に

『論語』里仁一八 孔子の言。「父母に事ふるには幾くに諫め、志の従はざるを見ては、又敬して違わず、労して怨みず。」孝行の難しさというところでしょうか。ただただ父母に従い、つねに敬し、なにがあっても怨まない。無理かなあ。

  父母につかへてつねに敬しなにがあつても怨まない非常に難き

『正徹物語』44 「山の深雪」という題に次の歌を作った。
・時雨まで曇りてふかく見し山に奥なき木々の下をれ

時雨の頃はくもって、山も奥深く見える。雪なれば山の奥もなく、すべて露わに見える。「雪に奥なき」がすぐれた詞である。木々も折れて遮るものなく、奥がない。雪に山が浅い。慶運が、
・草も木もうづもれはつる雪にこそなかなか山はあらはなりけり
と詠んでいる。ふつうなら「雪ふかくなりたり」とでもするところだが。この慶運の歌も優れている。

  雪ふれば山に奥なしあらはなり浅くなりしも興あるものぞ

「百人秀歌」一藤原定家
・奥山にもみぢ踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき 猿丸大夫
・花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに 小野小町
・久方の光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ 紀友則
・恋すてふ我が名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひ初めしか 壬生忠見
・やすらはで寝なましものをさ夜更けてかたぶくまでの月を見しかな 赤染衛門

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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