2024年2月6日(火)

昨日は雪で、町の屋根が白くなるほどには降った。海老名に珍しい降雪であった。明けてもまだ白いし寒い。

  雪降れば町しづかなり瓦屋根に白く積もれる雪の暈あり

  県道の降雪は溶けて往く自動車(くるま)来る自動車(くるま)さも不自由ならず

  傘さしてゆつくり進む老いわれを追越し無笠にふりむく旅人

『論語』里仁一五 孔子が「参(曾子)よ、吾が道は一以てこれを貫く。」曾子は「唯(はい)と答えた。先生が出てゆくと門人が問うた。「どういう意味でしょうか。」曾子は言った。「夫子の道は忠恕のみ。」忠は内なる真心に背かぬこと。恕は真心による他人へのおもいやり。

  わが道は一に貫く忠と恕に他ならず孔子、曾子にのたまふ

『正徹物語』41 恋歌は、女房の歌に心の底まで沁み込むような情趣の深いものが多い。式子内親王の
・生きてよも明日まで人もつらからじこの夕暮をとはばとへかし 新古今1329
・忘れてはうちなげかかる夕かな我のみ知りてすぐる月日を 新古今1035

などの歌は幽玄。俊成の女の
・夢かとよみし面かげも契りしも忘れずながらうつつならねば 新古今1391

また宮内卿の歌
・聞くやいかにうはの空なる風だにも松におとするならひありとは 新古今1199
など骨の髄まで深く染み入るような歌は、通具や良経などでも思いつけないであろう。

  恋歌は女流歌人の歌がよし通具、良経などにもおもひよりがたし

「時代不同歌合」後鳥羽院撰。上
・をとめ子が袖振る山のみづがきの久しき代より思ひ初めてき 人麻呂
・花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に 小野小町
・色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける 小野小町
・霞立つ春の山辺は遠けれど吹き来る風は花の香ぞする 在原元方
・いづくとも春の光は分かなくにまだみ吉野の山は雪降る 凡河内躬恒

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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