2024年2月4日(日)

昨夜から雨が降っていたらしい。朝方にはまだ雨が残り、やがて止んだが寒いことは
変わりない。

昨晩、アーナルデュル・インドリダソン『厳寒の町』(創元社推理文庫)を読み終えた。重厚なミステリで、ほんとうにもどかしいくらいに進展のない捜査がつづき、じれったく思っていたところ、最後の数章が気持ちの良いほどに走り出す。この感覚、翻訳とはいえ大したもんだ。

  インドリダソンのミステリを読むこころに昂ぶりのあるこの数日なり

  なかなかに捜査もすすまずじれったくなったところに結末がくる

  主人公の幼き頃のとりかへしなき弟とのかかわりも語る

『論語』里仁一三 孔子が言った。「能く礼譲を以て国を為めんか」なにもむつかしこともおこるまい。「能く礼譲を以て国を為めずんば」礼のさだめがあってもどうしょう。

  礼譲を以て政治をなさざれば礼の定めも役に立たず

『正徹物語』39 本歌を取る際に上句を下に、下句を上にして詠むことはよくある。句の位置が換わらないのに意味内容が別になるものもある。また句の位置を換えてもよく似た歌になってしまうものもある。万葉集の歌などでは、詞の一、二字を換えて自分の歌にしてしまった例もある。
・さざ浪や国つ御神の浦さびてふるき都のあれまくをしも

四句までは全く同じであるのに、第五句を「月ひとりすむ」と詠んで自分のものにしてしまった。後法性寺摂政兼実公である。
「三十六人撰」藤原公任
・思ひかね妹がり行けば冬の夜の川風寒み千鳥鳴くなり 貫之
・我が恋は行方も知らず果てもなし逢ふを限りと思ふばかりぞ 躬恒
・世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし 業平
・恋しさは同じ心にあらずとも今宵の月を君見ざらめや 信明
・下くぐる水に秋こそ通ふらし掬ぶ泉の手さへ涼しき 中務

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA