2024年1月31日(水)

朝は寒い。日中は暖かい。朝、リハビリである。

  つぶあんとこしあんんの二つから好みを選べ二つのぼた餅

  どら焼きを頬張るときのしあわせを人には告げず独りに味あふ

  どら焼きから餡がこぼるる時あらむこの満ちたりた時間(とき)もてあます

『論語』里仁九 孔子が言う。「士、道に志して、悪衣悪食を恥ずる者は、未だ与に議るに足らず。」士人で粗衣粗食を恥じる人は駄目だ。

  士、道に志を立てたれば悪衣悪食を怖れてはならず

『正徹物語』35 「夕顔」という題で、次のように詠んだ。

 かきこもる美豆野の岸によるあはの消えぬもさけるゆふがほの花

こう詠んだ。宗砌が言う「消えぬもさける」とはとても詠めまい。自分ならば「消えぬやさける」とでも詠むに違いないと言った。「も」と「や」の違い、ふ~む。

  消えぬも咲ける夕顔の花を消えぬや咲けるにしてみるとこの歌たちまち台なしになる

『定家八代抄』神祇歌・釈教歌
 ・巻向の穴師の山の山人と人も見るがにやまかづらせよ
 ・阿のく多羅三みゃく三菩提の仏達我が立つ杣に冥加あらせたまへ 伝教大師
 ・極楽へまだ我が心行きつかずひつじの歩みしばしとどまれ
 ・仏には桜の花をたてまつれ我が後の世を人とぶらはば 西行
 ・冥きより冥き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月 和泉式部

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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