2024年1月29日(月)

朝は寒いけれど、日中は快晴。

  ラピスラズリ色の硝子破片いにしへ人の祈りの色なり

  大安寺に残るほとけの表情のやさしきはこの寺なればこそ

  今朝もまた暁闇に残る月の色あかるくて西の連山照らす

『論語』里仁七 孔子が言った。人の過ちというのは、それぞれ人物の種類に応じて犯すものだ。過ちを見れば仁かどうかわかる。

  過ちには人の(たぐひ)に於いてする過ち見れば「仁」か判る

『正徹物語』33 「蓮葉の八千本」とは、数の多いことを「八千たび」「八千代」というように「無数の蓮」ということだ。こう詠んだ歌があるのだろう。

  蓮葉の八千本といふ歌ありぬ正徹の作かわからざりけり

『定家八代抄』雑歌上・中
 ・諸共にあはれと思へ山桜花より外に知る人はなし 行尊
 ・木の下を棲とすればおのづから花見る人になりぬべきかな 花山院
 ・侘びぬれば身をうき草のねを絶えて誘ふ水あらばいなんとぞ思ふ 小町
 ・時すぎて霜に枯れにし花なれど今日は昔の心地こそすれ 朱雀院
 ・めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな 紫式部

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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