2024年1月28日(日)

曇り空からはじまり、寒い。

  紅梅、白梅咲く地のありて春めけるさがみの国に笑ひほころぶ

  緑色に黄色と茶色、さらに橙色使ふ古代のタイルのごとき切片

  西の京、奈良大安寺の古きタイル写しつつわれもいにしへの人

『論語』里仁六 孔子が言う。「我れ未だ仁を好む者、不仁を悪む者を見ず」。どちらも仁を行なっているはずだ。「我れ未だ力の足らざる者を見ず。蓋しこれ有らん、我れこれを見ざらん。仁は難しいということか。

  仁を為すも不仁を悪むもわれいまだ見ることかなはず仁は難し

『正徹物語』32 名人達人になり意のままに詠める時は、題をあらわに詠み据えずともよい。詠んだ一首がそのまま題の世界になってしまえば過不足なし。なるほどと思うけれど、その上手達者にはどうしたらなれるのでしょう。

  上手達者の詠みてになるにはいかようなる努力をすればよきものならむ

『定家八代抄』恋歌五
 ・色見えでうつろふものは世の中の心の花にぞありける 小町
 ・君があたり見つつを居らむ生駒山雲な隠しそ雨は降るとも よみ人しらず
 ・月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身一つはもとの身にして 業平
 ・あらざらんこの世の外の思出でに今一度の逢ふこともがな 和泉式部
 ・黒髪の乱れも知らず打ち臥せば先づかきやりし人ぞ恋しき 和泉式部

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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