2024年1月25日(木)

今日も冷たいが、天気はいい。

  歩みゆき横町を折れふりかへるここは何処迷宮のさなかにあらむ

  茫然と立ち尽くすは老いのわが身なり冬の風寒きけさの舗道に

  あたたかきペットボトルのお茶を買ひ心たのしも歩みはずみて

『論語』里仁三 孔子が言う。「(た)だ仁者のみ(よ)く人を好み、能く人を悪む。」孔子にとって「仁」がもっとも大切なんだな。もっともである。

  仁者のみよく人を好みそして同様によく人を悪む

『正徹物語』29 郭公(ほととぎす)稀なりという題で、ある人が「ひとこゑ」という詞を詠んだところ、これは六月時分の題であれば、ただ一声ばかりにては」と不審あり。ただ初夏も晩夏も郭公の声は珍しいと感ずる気持ちに変わりはない。

  郭公の鳴き声まれなり初夏にせよ晩夏にしても一声つれなし

『定家八代抄』別離歌、羇旅歌
 ・命だに心にかなふものならばなにか別れの悲しかるべき 遊女白女
 ・掬ぶ手の雫ににごる山の井のあかでも人に別れぬるかな 貫之
 ・とぶ鳥の飛鳥の里を置きて往なば君が辺は見えずかもあらん 元明天皇
 ・朝霧に濡れにし袖をほさずして独りや君が山路越ゆらん よみ人しらず
 ・あしひきの此方彼方に道はあれど都へいざといふ人ぞなき

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA