2024年1月11日(木)

今日は午前中曇りだそうだ。3時くらいから晴れるらしい。妻が出かける時まだ暗かった。

  曇り空は寒げに明くるだんだんに周囲(めぐり)あかるく木々も目覚むる

  『テロルの昭和史』を読む殺伐としたる時代はかくも無惨

  昭和初期のテロルの時代暴力のかくうつくしき時代のありや

保坂正康『テロルの時代』(講談社現代新書)を読む。なんといってもテロは殺人、未遂であろうとも暴力には変わりない。暴力で時代を変えようとすることの過ちは、明治以降のテロルと戦争の実態を考えれば明らかである。それを繰り返さないことだが重要だ。しかし安倍、岸田各首相を狙ったテロ、あるいは世界にひろがる戦乱を観ていれば、暴力の肯定が私たちの心の中に潜んでいるのかもしれないとも思わせる。この本には神兵隊事件を取り上げたページもあって、やはり保坂さんだと思う。

『論語』八佾一五 孔子は大廟(周公の廟)の中で儀礼を一つ一つたずねた。ある人が「鄹の役人の子どもが礼を知っていると誰が言ったのだろう、大廟の中で、事ごとに問うている」。孔子はそれを聞くと「是れ礼なり」と言った。やっぱり孔子は礼なんだね。

  周公の廟にて礼を問ひしこと子どもの嗜み是れ礼といふ

『正徹物語』15 これは正徹の体験談だろう。内藤四郎左衛門の会に「衣ニ寄スル恋」という題に次のような歌が出された。

契りつつ送りし程の年をへば今夜は中の衣ならまし

しかし皆理解できない。これは源氏物語でしょうかなどという。正徹は、これは「ただ人と添い寝をする時に「夜の衣」とも「中の衣」ともいう。斬新な感じを出そうとして、以前に契りを交した時から何年もたって、今夜やっと逢った。次に逢うまでに同じくらいの時があるならば、今日は「中の衣」ということになると喝破した。これくらいのことさえ理解できないこの頃である。「あさましき事なり。」へいへい、なるほどですね。

  「中の衣」をいかやうに読むかに答へたる正徹なかなか手厳しきなり

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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