2024年1月8日(月)

今日は成人の日らしい。まあ、がんばれ。だれもかれも生きていてほしい。
昨夜から大河ドラマ「光る君」がはじまった。先日にも書いたが、その予習として『紫式部ひとり語り』を読んだ。ちょうどドラマがはじまる前に読み終わった。『紫式部日記』を中心に『御堂関白記』『小右記』『権記』などを使って、紫式部のもの思いを叙したもので、面白かった。色々あるが、最後に紫式部の和歌を引いて、「そう、この身が消えるまで、それでも私は生き続ける」と言わせる。ここは、なるほどよかった。歌を引いておこう。
・いづくとも身をやる方の知らざれば憂しと見つつも永らふるかな
ドラマの方もまあまあかな。主人公の子役が可愛い。

  (かな)(がひ)に七草もどきの粥を食ふ老いはふはふ熱きを吹きて

  さねさし歌日録の三年分二八五ページよく書き溜めし

  災害と事故と戦乱のニュースばかりこの世はかくも渾沌として

『論語』八佾一二 先祖の祭には先祖がいるように、神々の祭には神々がいるようにする。孔子が言う。「吾れ祭に与らざれば、祭らざるが如し。」自分がいないと祭そのものがないというのは、どうなのかと思われるが。

  祭に与らざれば祭なし孔子の言のさてかくあるか

『正徹物語』12 飛鳥井家の先祖の雅経は定家の門弟であったので、飛鳥井家の歴代みな二条家の門弟扱いである。内裏仙洞の歌会で、懐紙を三行五字に書くことのみが、他家との違いでその他は二条家と同じである。

  かにかくに二条家の門弟の扱いを受けしが懐紙に書くときは違ふ

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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