今日はリハビリがあったのだ。いやいや忘れていた。
昨日に『徒然草』を読み終はる薀蓄は有職に繋がるものか
昨日から『正徹物語』を読み始む中世の和歌の妙味について
インドリダソンの小説を読む『印(サイン)』とふこの執拗な捜査のゆくへ
アーナルデュル・インドリダソン、なんとも舌を噛んでしまいそうな名前だがアイスランドの警察小説の作者である。エーレンデュル捜査官の六冊目。五冊目の『厳寒の町』を読んでいないから五冊ということだ。この『印(サイン)』が凄い。自殺、行方不明者を、ほとんどエーレンデュル一人で捜査していく。自分の弟を雪の中に置き去りにするという少年時代のトラウマをかかえながら自殺者、失踪者の真実を明らかにしていく。そして、ほぼ明らかにするのだ。たった一人の捜査、執拗なまでの捜査である。
『論語』八佾二 これもまた身分を犯していたという話だ。三家(魯の公室の一族で孟孫、叔孫、季孫という三家の実力者)であるが、廟の祭りに雍の歌で供物を捧げていた。陪審である三家には用いてはならない歌なのである。
『論語』には身分を犯す家臣たちのエピソード語るいくつかの段
『正徹物語』2 藤原家隆のこと。「詞利きて颯々としたる風体をよまれしなり。」だから定家も『新勅撰』に家隆の歌を多く採り、まるで家隆集のようだった。しかし少し亡失の体のありて、子孫が長く続かない歌風であると定家は懼れた。こんなことも分かるんだ。
家隆は詞づかいがうまく颯々たりされど亡失の体もありしか