歌一覧(2023年3月)

3月1日(水)

朝焼けは空、町、山を桃色に染めてさがむの弥生朔日

こよひ来るむすめのために菓子鋪より鶯餅を選びて帰る

駅までの近道に梅の花咲く木けふはマスクを外して匂ふ

旧制西成中学の寄宿舎時代 少年愛を作家は語る

大本教の幹部の子なり川端の愛せし少年清しかりけむ

夕日差しあけぼの杉に差すひかり冬木は大き灯火(ともしび)となる

3月2日(木)

眼鏡(がんきやう)の脂ぐもりを拭きとれば三月二日の空晴れてゆく

物価高騰、賃金値上げ世の中は金勘定ばかりあゝやるせなき

冬の木の欅の枝に移りくるひよどり二羽の鳴き交すこゑ

赤貝を誤嚥して死す万太郎遮莫(さもあらばあれ)なんとも寂し

3月3日(金)

雲のすきまに青空すこし覗けたる三月三日ひなの日の朝

京三条の陶器の店にあつらへて四十年経る女びな男びなよ

わが部屋の扉を開ければ百合の国 白百合大きな首垂れてゐる

3月4日(土)

なんとなく心の底にわだかまりあれば楽しまず春のこの日も

中庭の東の端に咲くさくら寒のさくらは白き花付け

さくら木は白き満開の花咲かせあたり濃密なるさくらの匂ひ

マスクを外しさくらの花に近づけば木のめぐりたゆたふ花の香り

3月5日(日)

あけぼの杉の太き(え)(へ)にひよどりのくちばし開き(め)を呼ぶか鳴く

死の怖れと生の苦痛を画布(キャンバス)に塗りたくるなりエゴン・シーレは

子どもを描くエゴン・シーレのやさしさが絵にあらはれて子らのやさしさ

3月6日(月)

西に連なる山は雲中にかくれたり空寒げなればこころ晴れざる

トイレ紙を引き出しながらぼつぼつと買ひにいかねばザーネクリーム

レンズより人脂(ひとあぶら)拭ひ掛け直すメガネ少しだけすつきり

左手の親指の先にバンドエイド貼りたるは昨日の傷隠すため

3月7日(火)

ほのぼのと春空明けてほのぼのとこころうるほふ弥生九日

ひさかたの春のひかりのまばゆくてうすきみどりの木々のかがやく

鴨どちは春あたたかきに川淀にあまた群れゐるいつここを去る

手指の傷水に触ればなほ痛く赤剥けてゐる親指の傷

和菓子屋に九十一歳の母を祝ふ「菜の花」三つ贖ひもどる

3月8日(水)

古新聞と広告の束を持て余し一階まで降ろす月に一度

ひよどりはここにも雄の一羽ゐてこゑかしましく雌呼ぶこゑか

朝の日は海老名田んぼの畦を照らす薺の花の群れ咲くところ

ひこばえにみどりあかるき冬の田に橋太鴉一羽降り立つ

3月9日(木)

ひさかたの(しゅん)(ちう)ふかく生れくるきみの未来のたのしくあれよ

朝がすみ西につらなる山々の春のうづきを隠さうべしや

哀しげに、また喜々として鳴くしらべ朝のひよどり木々を移ろふ

石畳に破れ砕け散るむらさきの壜の欠片に朝の日の差す

木蓮の大木に花咲き満ちて春の午後なにかあやしきけはひ

3月10日(金)

(き)のやうなかたちの雲が雨上がりの空に浮かぶはなにかあやしき

大山の後ろ連山に雲たまり春いまだ浅き日の(あした)なり

橋の下の淀みにうかぶ鴨どりの鳴くこゑ聴く声たのしきろかも

大木の木蘭の木に花あまた窄めるもあり満開もあり

3月11日(土)

あの日の午後大揺れに揺れ怖ろしき数分なれどいまだ怖ろし

中庭の白木蘭がいつせいに白かがやかす三月十一日

鎮魂の花のごとくに純白の清きかがやき木蘭の花

3月12日(日)

テーブルに短き白髪わが毛なりいつのまにか落つ老いのあかし

佐伯祐三「郵便配達夫」の手の大きさ目の迫力このいのちの力

沿線はこぶし、木蘭白き花てんてんとして目を楽します

3月13日(月)

救急車の音に覚めたり。朝まだき明けぬどこかに病む人がゐる

木蘭の花ひらききり妖艶の色香ただよふ中庭(パティオ)にをりき

沙羅の木も芽を尖らしてみ冬つぐ春を待ちをり三月半ば

この時代の指標の一人また死すとこの世の熱の何度か下がる

3月14日(火)

曇りなれど風弱き朝中庭のあけぼの杉は春芽赤らむ

界隈をひよどり二羽がかけめぐる公園、マンション、手もみ屋あたり

となり町の空家の家の大木の白木蘭あまたの花落したり

マンションの前の空地の春草原いかる二羽ゐて黄の(はし)うごく

3月15日(水)

うすら寒きこの朝も木蘭の花のもとコートのポケットに手を入れて(あ)

茶の樹皮のささくれて春の沙羅の木の枝にみどりの芽のあまた付く

つばきの花つぎつぎ落ちて公園の一隅 赤き異世界のごと

夏の日を河内の国の観心寺楠木正成の首塚のまへ

首塚の五輪塔に手を合すまあ偏屈な少年なりき

3月16日(木)

朝の日を蒐めて明るきあけぼの杉枯木(かれこ)(だち)なれど枝に赤き芽

春コートまとふてわたる相模川冷たき風が橋梁を吹く

数少し減りたるやうに水のうへ残る春鴨喜々としてゐる

九階のベランダにやや大きめの銀蠅が来てぶきみに光る

『老子』の兵法言も逆説に「哀しむ者勝つ」至言なるかも

飲み助のたしなみを説くか盃の底に残せる酒はなにゆゑ

3月17日(金)

午前五時半 中庭(パティオ)はいまだ暗くしてひよどりの声しきり鳴きをり

くらがりに街灯のひかりうつすらと白木蓮の花うかびくる

おそらくは昨日のうちに飛び立ちしあゆみ橋下鴨の数減る

3月18日(土)

モクレンの花咲き盛りいく片か花びら夕べ風に落ちたり

はなびらは全方向に落ちてゐる昨夜暴威の吹き荒れたるか

九階より見下ろす白蓮の花びらの開き切りたるが雨に打たれつ海棠の花のつぼみも濡らしつつ春の雨ふる冷たき雨が

3月19日(日)

(がは)の窪地に大き枝垂れざくら頃合ひに咲き日にあたたまる

しづかなる山(あひ)の墓。並び立つ墓石を縫うてわが父のもとへ

墓石に水を流せば父の名のくきやかに見ゆ山の奥墓

父の名が刻まれしのみに三十余年墓石()びたる色合ひもよし

墓の前に手を合はすとき鶯の稚拙なるこゑひと鳴き聴こゆ

3月20日(月)

晴朗なるあかるき朝の空に鳴く一羽の鳥の濁みたるひと声

朝の日はさみどり色の野を照らすこの平穏の時よ長かれ

朝の日はひかりまばゆし駅へむかふ人の背中の誰もかがやく

川淀に残る鴨どりもいつか去るそのいつかさう遠くはあらず

木蘭の風になぶられ純白の花びら散らばるあはれ汚れて

3月21日

みづきの冬木の枝にすずめゐてぴちゅくぴちゅくとわれ呼ばれゆく

わが佇てる近くの枝をゆすりつつ雀鳴きをり小さな一羽

木蘭の樹下はなびらをあまた落しあはれ無惨に花びらの散る

をちこちに辛夷、もくれん春の花白きが咲きてうすら寒き日

駐車場に枝張りだせる染井吉野(なか)()下枝(しづえ)に花付けはじむ

鶯やいまだ越侘(こしわぶ)ぶこの地には春の囀りとどかざりけり

3月22日(水)

今朝もまた中庭(パティオ)に明るむあけぼの杉冬木なれども朝の日蒐め

抽斗の奥に隠れしアルミ銭 昭和四十九年の一円

北の部屋の暗きに入ればわがめぐりに付き従ふかひかり流れ()

わがからだのめぐりの小さなひかりたち春の妖精しばしたゆたふ

3月23日(木)

雨のなか海棠に花の蕾あり赤きつぼみは春のたまもの

江戸の世の庄屋、村医者を訪れる本売るあきなひ人を描く

村医者の口訣(くけつ)を集め開板す書林・松月平助なりき

おほかたは白木蘭の散り落ちて頃合ひを待ちしかさくら花咲く

葉とともに白き花咲くさくらなり木を見上ぐればいのちありけり

3月24日(金)

雨上がりの朝の空には飛行機雲昨日(きそ)の名残か白くひろがる

雨上がりの窓にみどりの春溢るとなりの空地に雑草長けて

九階の窓にも溢る雑草のみどりの色春のいのちの色が

ひよどりは電線の上。けさもまたするどき声に鳴き、また鳴けり

3月25日(土)

ここのところあたたかだつたがけふは寒い石油ストーブのスイッチを押す

雨のなか木々移りゆくひよどりのひとこゑ、そして移りてひとこゑ

椿の木のしたには赤き花落ちて雨に打たれなほ赤き花

沙羅の木の枝にみどりの葉を濡らし春の冷たき雨しとど降る

3月26日(日)

下総のさくらの花の咲き満ちて雨ふるこの日孫退院す

口をあけ、指をうごかし、流し目に何かもの言ふいのちのことば

母の腕にやさしく抱かれ泣くこゑはわれここにありいのちの叫び

春の雨さくらの花を濡らす日に小さきいのちの懸命のこゑ

老いわれの腕に抱かれてこの重さいのちのはじめの力と思ふ

闇を砕くごとくに泣くは初孫にてけふ下総の国に出でます

3月27日(月)

満天(どうだん)(つつじ)、沙羅の木のみどり、紅の花付けてつばき中庭(パティオ)の木々なり

二本ある海棠も赤き花咲かせ春の庭にぎはふ老いの回りは

鳴き落ちて低きへむかふひよどりの巧みに翻る春の昼どき

3月28日(火)

朝から雨、絢瀬方面へ今を盛りの染井吉野を観に、妻の運転で回ってくる。午後には雨が上がった。

用水を被うごとくに桜木の枝撓い並び花散らしたり

マイカーのドアのあたりはなびらの濡れて貼りつく愛らしきもの

雨上がり明るくなればひよどりのかしましくして中庭(パティオ)大騒ぎ

三輪山のいただき近き磐座の複雑怪奇今に忘れず

三輪山は祟りなす山しかれどもその山容のおだやかならむ

3月29日(水)

風吹けば海棠の花も散りはじめひよどり一羽騒ぐ中庭(パティオ)

ひよどりは二丁目あたりに活動域ひろげたるらしここにも騒ぐ

山の樹は緑金の葉のかがやきに鈍くし笑ふ遠山膚は

けふは晴れ染井吉野もあたたかく花散らしをりはなびら拾ふ

さくら木の下に少女子(をとめご)躍りをりはなびら散ればはなびら纏ふ

細かき雨を黄金(きん)の夕日が煌めかすそのきらめきがさくら木照らす

3月30日(木)

土堤(どて)の老いのさくらのはなやげばさがみの国の春ゆたかなり

梅の木に梅の実小さく育ちたりうすらみどりの梅の(み)(かは)(ゆ)

雑草の芽をついばむか斑鳩(いかる)三羽(はし)(あし)黄色に目に立つ鳥どち

四十雀の胸毛白くして愛らしき染井吉野の枝を移れる

いつのまにか鴨どり消えて河原はあをき芽立ちにさみどりさわぐ

3月31日(金)

海棠の木も桃色の花咲かせパティオにぎやかに三月尽は

ひよどりの姿見えねど鳴くこゑの聴こえくる朝のゴミ捨てにゆく

遠見には土堤のさくらの並木には満開の花散りゆくごとし

川淀を鴨飛び立ちし水の流れしづかなればけふは鯉三尾来る