歌一覧(2022年10月)

10月1日(土)

このあまき香りを木犀と覚るまでしばし記憶の(くう)にたゆたふ

めぐりより木犀の花の香り消え死者訪れることも稀なり

木犀の花をさがしてふり返る見えぬところよりたゆたふ花香

10月2日(日)

朝の陽の桜の木よりこぼれくる十月二日まだ秋の口

コンバインにさきがけて鷺が舞ひ降りる稲穂かがやく金色(こんじき)の田に

鷺こそが阿弥陀如来のごとくなれ金色の野にしづかに降る

10月3日(月)

けさの空はこつてりとしたペースト状、全天覆ふがごとき白雲

地球にはすでに宇宙人が侵入してロシア政府中枢部の人となり替はる

揺れたるは丈高きひまはりの花にして風止むまでのしばし時の間

10月4日(火)

生きのこりのコバヘが潜む生ごみのわが家の袋に殺意放てり

六本の脚ひらききり流さるる一匹のコバヘの運命を見つ

おい、なんだ。これは。朝ドラをたのしむ平和を損なふ勿れ

10月5日(水)

彼岸花のむらがり咲ける路傍なり雨ふれば花もわれもずぶぬれ

雨の昼しづかに秋の深まりぬ

傘ぬらしわが腕をぬらし秋の雨

ずぶぬれの心ひそかに母を憎む十月の雨さびしき雨なり

10月6日(木)

われの坐す重き椅子引き出し新しき掃除機を使ふ絨毯のうへ

さねさしの地上に雨をふらす雲じわりじわりと暗雲うごく

透明傘の内なる悩みも見透かされけふなんとなく心あかるき

10月7日(金)

雨ふれば(みづ)(はの)女神(めがみ)の降臨もあるかとおもへば少したのしき

人類は水に滅びむ。この雨に地球上の水量またもや()やす

われもまた世をむさぼりてあさましきかたちを恥づる心なき老い

10月8日(土)

百日紅もそろそろ終りの花の色褪せたるが落ちて秋の木になる

苅田には白鷺一羽たたずめる日差しあかるきさねさしの国

夕焼けも(たま)にはありて山の()のくきやかにして秋の大山

窓ゆ秋のひかり入り来る()の上にこの世に見ぬ人の文読む(たぬ)

10月9日(日)

図書館の前のベンチに腰掛けて友を待ちつつサンドイッチ喰ふ

豊橋市中央図書館に「楡」を撮す案の定わが手のふるへとまらず

成瀬有の歌を読みつつ若かりし日のすがたおぼろけに想ひをりしか

10月10日(月)

アンパンを妻と分けつつ食ぶるにその甘さふたりの眼が笑ひだす

柚木紗弥郎の染めたる布のぶら下がる色どりゆたかな布ゆれてゐる

みどり羽の烏がけさも鳴き立てて空わたりゆく群ればらけ飛ぶ

脈動のくきやかなるは胸に埋まるペースメーカーの動きに拠るか

琵琶・和琴(わごん)聴きたきものを神楽こそなまめかしきと兼好のたまふ

亡き人の魂祭るわざ(あづま)にはいまだ残れる都にはなし

10月11日(火)

ひさびさの空のあかるさ。さねさしさがむを照らす天つ日出づる

天の日のこのあかるさをまぶしみて眼をつむりをり秋の陽の色

風こそがみやび人にはあはれなり。西行、秋の初風うたふ

10月12日(水)

ゴミ袋の中に生き延ぶる蟲どもよこばへ残党死ねよ死ね死ね

寒けれどなほ生き延ぶるコバヘたちそのしぶとさは愛すべきかも

おとろへたる末の世なれば古き世を慕はしといふ兼好法師は

夜の御殿(おとど)に「かいともし、()うよ」など言ふいみじかりけり

10月13日(木)

しつとりと藍に明けゆくさがみの空。窓を音なくふる細き雨

この雨は全き秋を率き連れてけやきの黄葉散りはじめたり

読み終へてなんだか辛き人生を背負い込んだか息ふかく吐く

10月14日(金)

山肌に朝雲うごき険峻(さねさし)のみどりもやがて雲隠れたり

質感のうるほふ素肌女体みゆねつとりとした夜の夢なり

雪降れど雪には触れぬひがひがしき兼好をむかしからかふ女人

10月15日(土)

枝それぞれに風に任せてこきざみに揺るるあけぼの杉の秋の葉

けやき樹がもつとも早く黄葉する衰ふる木も黄の色あざやぐ

「疑ひながらも、念仏すれば往生す」法然のたまふこれまた尊し

栗をのみ食ひて米類を食はざりし異様(ことやう)の女を兼好記す

10月16日(日)

余裕なきわが体力を尽くしたりパン屋、農協、トマト屋廻る

エレヴェーターの箱に棲まふか黒蜘蛛の王のごときが天井を這ふ

人、木石にあらねば、兼好もものに感ずる和歌をつくりき

文ひろげ清げなる男、童子つれ笛吹く男 謎をもつをのこを好むか兼好法師

10月17日(月)

夜明け頃の奇妙な明るさ。常ならぬ白茶けたる街窓にひろがる

けふもまた日は昇り来ず。天上の天宇受売(あめのうづめ)(あそ)びをせむか

(こく)(しん)は万物生成の根源なり冥々と湧く尽くることなく

10月18日(火)

午前一〇時のおやつは小さなチョコレートペットボトルの紅茶とともに

舶来のチョコレートの苦さ――わが好みはもう少しばかり甘きを希む

上善若水は酒の名にあらず無私・無欲流るる水の自然に倣へ

10月19日(水)

この涼しさ。そろそろコバヘもゐなくなるさう想ひしがけさも一匹

生ゴミにたつた一匹のコバヘなり同志のごとく思へるは何故(なぜ)

コスモスのあかるき花がゆれてゐるわれの背丈を越したる花むら

10月20日(木)

コンビニのおにぎり二つを喰ひ終へて横須賀軍港雲一つなし

秋日和にわがめぐり翔ぶ紋黄蝶こは誰が死者のたましひならむ

わが死者のひとりを憶ふ金木犀香ればすこし涙ぐみたり

10月21日(金)

はるか能登の海のひかりをおもふなり旅の四日の穏しくあれよ

夕波のしづけき海に迢空と春洋の歌を和して唱へよ

正月の歌つくらむと喫茶店に朝の珈琲すすり案ずる

キッチンに小さなちひさなシャボン玉なないろの玉いくつも上がる

10月22日(土)

少しづつ葉の色変りメタセコイヤ装ひはいま秋の貴婦人

いまだなほコバヘは死なず。人類の最期を看取るはコバヘの類か

透明なるビニール袋のゴミのなかにコバヘ潜むを指もて潰す

一日の余光が照らすあけぼの杉しなやかにして淑女のすがた

10月23日(日)

秋の夜の益体もなきやるせなさ夢ながければけふも堪へがたし

敵襲につはもの二人加勢してあぶなげもなし(つち)大根(おおね)なり

10月24日(月)

妻が淹れし珈琲に湯気たちのぼる牛蒡、大根ころがるキッチン

どんみりとけさの曇りに中庭の木々もどことなく不機嫌の風体(てい)

心のうちにいつぞやありしとおもふことたびたびあるはわれのみにあらず

無為自然を理想とせむにおのづからことばあふれるやうにはゆかず

10月25日(火)

こんな日は暖炉の部屋に火を燃やしあまきココアにあたたまるべし

ミステリイ小説を読み(ほど)きゆく秋の昼どき()けさうで解けず

文車(ふぐるま)(ふみ)塵塚(ちりづか)の塵は多くとも賤しげにはあらずと兼好は言ふ さて

逆説にこの世の乱れを説く『老子』いまこそ読むべし無為こそ自然

10月26日(水)

てふてふにまがふがごとき欅もみぢあさのひかりに木の葉散りくる

米二合にトイレットペーパーを購ひて小田急線を一駅戻る

兼好の時代もいまのこの時も「とにもかくにも、虚言(そらごと)多き」

()するところ、ただ(おい)と死とにあり」かくいふほどに覚悟はできず

いつまでも(あらき)のままで生きてゐたし世に泥むこと断固拒むべし

10月27日(木)

袋に提げてビン・カン鳴らし捨場まで楽器演奏したる心地す

けふの曲は少しかろやか空中にけやき黄葉の舞ひたるもみゆ

憂悶の夢といふべし。知り人のひとり去り、ふたり去りわれ孤りなり

憂愁と慷慨の気をひびかせて老子の文言かく流麗なり

10月28日(金)

曇り空にも時の間透けて秋の色青深々しのみこまれゆく

秋の日の野風に吹かれただよふは銀のすすき穂わがたましひか

瞑想の深き思念におぼろけなるなかに確かに在るものを探る

10月29日(土)

暮れのこるだいだい色の雲の端ああけふ一日の未練のごとく

老いわれにいろは匂へど高嶺の花うつくしきものはただみてをりぬ

散りぬるを惜しめどもとには戻れざる摂理といへど恨みがはしき

10月30日(日)

日曜の朝は少しく遅く起きカーテンをひらけば秋のまぶしさ

損じたり、不具なりしこと、欠けたるがいみじきといふ隠者のことば

老子的言辞もものし中世の知者は説くべし「亢龍の悔」

10月31日(月)

アボカドの實の大なるを繪に寫すそのたましひよわがもとに來よ

常世の長鳴き鳥のいつ鳴くか世界全土の悉く闇し

紛争はいづこにもあり常夜往く安の河原に神がみ集へ