9月1日(木)
いくたびかにはか雨ふり傘なくばいく度も小走り九月一日
横断歩道の手前を黒き猫がゆく悠然たれば車も停まる
9月2日(金)
羽咋の村に夕べ一管の笛が鳴るこよひはしばしなごみたまへな
おもひみる羽咋の海の夕波のよせてはかへすしづけき音を
9月3日(土)
信夫・春洋 名をつらねたる墓のまへ椨を一枝そなへたたずむ
浜砂の上の墓標に頭を下げて春洋の歌を暗んずるなり
9月4日(日)
胎内川のほとりに星のあまた生れああこの地球奇跡のごとし
あの綺羅は亡き君の星うす雲にかくれて含羞ふやうに光りつつ
夜に入らむ星に流らふひかりの彩胎内川のほとりに残す
9月5日(月)
いつまでも夏衣替へず日傘さし陽を浴びゆくか九月五日も
このままに暑さに溶けて人間のかたち崩して地にへばりつく
9月6日(火)
空の色は秋のいろどり此方より暗雲くればぢきに雨ふる
夏と秋 空は二つの空がある雲の下ゆくわれらも二人
9月7日(水)
河はらの萩むら赤し過ぎゆきてこころするどし人恋ふるべし
萩の枝、風に放恣に揺すぶられ荒ぶるこころ暫時しづまる
9月8日(木)
ふる雨はすこしの秋をいざなふか欅の葉の淵黄変はじむ
みどり葉のさくらもやがて紅葉するその時の間をたのしむべしや
9月9日(金)
重陽の日の明るさと長袖の白シャツ羽織り街へ出てゆく
たましひのなき菊人形のぶきみさにむすめ泣き出す幼き日あり
9月10日(土)
斑雲に秋めく空をたかく飛ぶ大鷺白きいづくゆくらむ
この空を仰ぎてしばし呆けをる時代遅れのわれならなくに
9月11日(日)
悪には悪と思へば戦ふ人類のどうにかならぬかこの軍事好き
なによりも人を殺してはならないとおもふに殺戮の多寡を問ひたる
9月12日(月)
人類の滅びの時をおもはするこのあかるさに樹々はざわめく
木の枝のわづかの動きに反応しひよどり飛び立つ滅びの空へ
9月13日(火)
病葉の地に重なりて季が動くさくらの古木どつしりとして
さくら木の古木の下になよびかなるをみなのすはだおもひみむとす
9月14日(水)
生ゴミの袋閉づればとび廻るこばへあまたを指につぶせり
けさもまたこばへに集られ袋閉づわが家の三日を支へし残滓
9月15日(木)
鳶高くひょうろひょうろと鳴き巡り横須賀軍港けふしづかなり
あやふさを潜めて港にしづまれるイージス艦この船も戦艦である
海兵の夏服白きがつらなりて艦を降りゆく気ままなる列
9月16日(金)
あけぼの杉の葉むらささやくごとく揺れ九月十六日朝晴れてゆく
杉の葉のささやきは天女のこゑなるか朝のひかりによろこび満ちて
けやき木の葉のいくつかが黄変し落ちて来る落ちてゐる秋近みかも
9月17日(土)
和菓子屋がおはぎ売り出す日をねらひつぶあんおはぎを三つ買ひ来る
秋の盆にはまだ早けれどつぶ餡のおはぎを食らひ老いもよろこぶ
あの日から十七年目のけふの日に岡井隆遺業集『阿婆世(あばな)』買ひ来し
値上げ前のロマンスカーに新宿へ『川端茅舎全句集』贖ひて来し
9月18日(日)
死者たちが夢に出て来てそそのかす道は結構爪先下がり
南から関東平野に雨が来る情報の中に佇立してゐる
暗く重い夢のなごりが少しづつ晴れていく中入れ歯を洗ふ
樋口覚の書を読みつつ眠りたる一夜は明けて細き雨降る
ああこんなことつてあるか死はこちらむいててほしい阿婆世といへど
死はやはりとてつもなくてさう遠くなくやつてくる読みつつ怖る
九十二年生きても怖ろしきものがあるああ人間といふ不思議なるもの
暴力シーンのかくも醜悪なる小説いくたびも閉ぢ時おきて読む
9月19日(月)
タイフーンが東上してくる時の間のこころの昂ぶり知られてはならぬ
板戸閉め釘打ち台風を待ち構ふ暗き一夜のこころ躍りよ
このごろは思ひだすことも稀になるゆるせよおれも老いたるかなや
9月20日(火)
さねさしさがむを覆ふ雲のかたち龍の頭が群れなして来る
群れなすは龍の頭のごとき雲灰白色に尻尾はあらず
台風の雨にふられてあらたしきみどり清しきあけぼの杉なり
サネサシは箱根の嶮のけはしさを表はすことばかサネサシサガム
9月21日(水)
コバヘとの川中島の合戦も終盤戦か激減したり
ぎうぎうにゴミの袋を絞め了へて周囲たしかむコバヘの数を
9月22日(木)
あんぱんの臍噛みすこししおはゆく妻の臍などおもひ出したり
をさなごの出べその汚れを洗ひやるわが三十代花のごときか
9月23日(金)
夢の中の街に迷ひて立ちどまる人の影なき商店街に
シャッターの閉まつたままの雑貨店うめきごゑする店の内より
この径をしばしたどれば猫町かいや猫も人も影ひとつなし
裏返しにパジャマは着るべし悪夢より恋する人の笑顔みるなら
9月24日(土)
朝からの雨にすつかり濡れそほつ沙羅の木の葉のくろずみはじむ
昨夜よりの雨に下垂る水しづく止むときなしにわが傘にふる
9月25日(日)
墓に刻む文字に深く溜まる水二日の雨にいまだ満ちたり
この墓の石も三十余年経て霊は憑らねど古びたりけり
墓のある山にはいまだ蟬のこゑとぎれとぎれに鳴く声やまず
9月26日(月)
椿の実はじけて枝に殻残す裏黒き殻やがて落下す
椿の実の殻の内側 暗黒の闇の領域つばきの未来
9月27日(火)
けさも地に落つる欅の葉を拾ふ黄の色あざやぐこの一枚を
けやきの葉拾ひ蒐めて鉛筆絵にとどめて弔ふ葉にあるいのち
褐色にもみぢする箇処指にさはるけやきもみぢの葉のたましひに
9月28日(水)
漱石と鷗外の食を思ひつつなんだかたのしき秋の日である
空の上の雲のかたちは秋のものうろこ状の雲が伸びてゆくなり
9月29日(木)
二リットル入りのペットボトル三本に浄水そそぎ一日はじまる
いつのまにか万願寺邦和になつてゐるなにゆゑかくもトラブルつづき
課長と観山遊香があやしいと思ひしことありかなり後半
秋の日の午後には鳶のこゑのして『Iの悲劇』一冊読み終はりたり
9月30日(金)
虫のこゑいつか途切れて明けてゆく秋空の下違ふ虫鳴く
マンションのドアを出てゆく蟋蟀の威風堂々たる黒き正装
モーニングを着てゐるごとしちちろむしのつそりとわが足もとに寄る