2022年10月31日(月)

今日も気持ちの良い秋の日だ。一昨日の新聞の読書欄で横尾忠則の書いた書評を読んだ。宮竹貴久『「死んだふり」で生きのびる 生き物たちの奇妙な戦略』(岩波科学ライブラリー314)だが、書店にあったので買ってしまった。絶対読むぞ。

  アボカドの實の大なるを繪に寫すそのたましひよわがもとに來よ

なんだか正(旧)漢字を使いたくなって。

世界各地、あちこちに紛争は絶えない。

  常世の長鳴き鳥のいつ鳴くか世界全土の悉く闇し

  紛争はいづこにもあり常夜往く安の河原に神がみ集へ

『老子』上篇24 希言は自然なり=聞きとれない無声のことば―「不言」―こそが、自然なありかたである。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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