2022年7月8日(金)

朝は少し涼しめ。

野口冨士男『暗い夜の私』を読む。ここでも『なぎの葉考・しあわせ』について感想を述べたことがあるはずだが、この一冊もよかった。戦前・戦中・戦後の野口をめぐる若き作家たちの文壇状況が、さまざまな人の繋がり、エピソード、時代がもつ暗さが、丹念につづられている。太宰治の葬儀の夜の外村繁、十返肇との交友、「戦争は一つ一つ私から何かをうばっていく」などがわたしの心にふれてくる。今日はいろいろあったようだが、ふれたくもない。

沙羅双樹の葉をちぎりとりてのひらに載せて小さな葉を愛ほしむ

錯綜する葉脈を絵にうつしゆく夏つばきの葉のいのちの(すぢ)

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA