2022年5月25日(水)

今日は半袖Tシャツで出掛ける。

楠公祭。南北朝時代、楠木正成の死んだ日である。楠木正成、正行父子はわが幼き日々の英雄であった。今でもその思いは余香のごとく残っている。桜井の駅の父子の別れをうたう「青葉茂れる桜井の」は、わが子守唄であり、わが心の底流を流れるテーマ曲でもある。歌詞は落合直文の作である。

楠公祭は、頼山陽『日本外史』などの流行もあって幕末時代からあり、それが維新への思想的背景の一つにもなっている。戦後も右翼のあいあだでは大事な行事であった。わたしも父につれられて東京大神宮で開かれた楠公祭に一度参加したことがある。中学生の頃であった。直会(なおらい)の場は、酒にひどく乱れて怒号、日本刀をふりまわすものもあらわれ、いい思い出はない。右翼に絶望した日でもある。

父の腕に抱かれて父のうたふこゑ五月雨(さみだれ)の空に(ほとと)(ぎす)鳴く

「青葉茂れる桜井の」は6番まであります。この歌はその最後の6番の歌詞から借りました。6番の歌詞をあげておきます。「共に見送り見反りて/別れを惜しむ折からに/復も降り来る五月雨の/空に聞こゆる時鳥/誰か哀と聞かざらん/あわれ血に泣く其声を」

父と子の訣れをうたふエレジーにわが心根の育ち来しなり

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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