2022年3月10日(木)

昨日、むすめが祖母の90歳の祝いを持って帰ってきた。結婚の話もあって、少しくうれしく穏やかな時間があったのだが、その時もテレビの情報番組はウクライナのロシア軍による侵略報道をこれでもかこれでもかというほどに放映していた。過去に学ばない、そして平和な未来を構想できない独裁的指導者のしたり顔。なんともやるせない気持ちになる。そして、こうした事態に何もできない無力であることの罪に思い至る。ああ。

今日は1945年の東京大空襲の日から77年。ここにも理不尽な殺戮があった。人類とは、まったく過去に学ばぬ莫迦ばかりだ。

炎に焼かれ阿鼻叫喚の(うち)にある「死」と「生」みずからの手には選べず

これもまた想像しがたき過去の一つおもへば平和に慣れすぎたるか

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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