10月1日(金)
藤圭子は笑顔が似合ふこよひまたグレーの絨毯にワインをこぼす
自在なるこゑのふるへに声の伸びこぶしふるはせ心うるほす
往古のエジプトの男の貌を画くどこか自分に似てゐるやうな
10月2日(土)
昨夜過ぎゆく野分が残す雨滴ありあけぼの杉の葉むら下垂る
灰色の大小の蝶輪舞する河辺はそろそろ草枯れはじむ
蛍を今年は見ずに秋や来る
10月3日(日)
陽のひかり透けたるもあり濃きもある楠の古木を真下に仰ぐ
楠の葉の色枯れて一葉、またひと葉散り落ちてゆく愛鷹山麓
廻るやうに伸びたる枝が交差する太幹ま直ぐなりこの複雑怪木
10月4日(月)
屋上や露天にさらすわがふぐり
大岡信の詩のあかるさに通ずるか三島の町の水湧くところ
面白き水湧く町や妻とゆく
裾野より立ち上がり大き不二の山雲をまとふていまだ夏嶽
御殿場線の窓に来てゐる秋あかね駿河小山の駅に停車す
10月5日(火)
たまさかに富嶽の巫女が降下するタブレットを手に吉凶案ず
駿河のをみな秋の女をおもふとき穂すすきしろがね色のかがやき
10月6日(水)
熟れ桃の色全天にひろがればあやしき夜のはじまりである
百日紅はいまだわづかに花残すその木の下に童女のこゑす
をさなごの喜々たるこゑに老いわれのくちびるおのづと綻びはじむ
10月7日(木)
ひよどりのかしがましきがなんとなく楽しくなれば携帯電話鳴りだす
行き過ぎて背後より木犀の香りくる控へ目なるはわが死者ならむ
10月8日(金)
背高泡立草の黄の領分わづかに残る風に吹かれて
あざやけき背高秋の麒麟草すすきに囲まれ寂しげなりき
10月9日(土)
ひと夏を飾りし蟬の抜け殻を十月九日朝野に返す
セルロイドの玩具のやうなる空蟬をためつすがめつ一夏愛す
10月10日(日)
ひよどりのこゑにめざめてけさの空鯖雲傾る不穏にあらずや
ひよどりに継ぎてカラスのこゑひびき雨滴一時窓に繁吹けり
10月11日(月)
雲一つなき朝の空この国はこの平穏に滅びゆくかも
雨に濡れ雨滴溜まれば腐食するけやきに洞あり樹勢衰ふ
樹勢衰ふ樹木に拠り来る鳥もなしけやき黄葉の風に散らばる
10月12日(火)
大山のいただき廻りを幾重にも旋回する雲黒く渦まく
草のみどりに黄の蝶あそぶ秋の日の幸福感こそ忘れざらめや
10月13日(水)
いとほしげに生ゴミを抱く男ゐる家族を愛しその塵芥を愛す
立川談志の老いの苦しみを映したるドキュメンタリー観つつ苦しき
10月14日(木)
雨の降る夜の県道は赤・黄・みどりLEDのひかりに潤む
防波ブロックのてつぺんにゐて甲羅干す亀がおもむろに沈みゆきけり
親亀に順ふか隣のブロックの小さな亀も川に落ち入る
10月15日(金)
ひよどりのこゑに応ずる鳥もありひむがしの空やうやうに明く
母親が子を抱くときにこぼれだす赤子の素足五指のうごきよ
宙天にうかぶ嬰児 人類の希望をつなぐ奇跡の子なり
10月16日(土)
雨中には野鳥のこゑの聴こえ来ず排水管の水音許り
つつじの帰り花咲く曲がり角四、五片の花過ぎ来て驚く
10月17日(日)
寂しさの耐へがたきときにわが部屋に見出でたる守宮小さき生命
守宮の吸盤を持つ四本の指の動きのはかなげなりき
最澄の彫りしとふ薬師如来像その表情のおだやかならむ
躙り口より入りし小部屋に酒少し錫の盃に口寄せてゆく
往にし世におもひを寄せて飲む酒のけふは少しくあまやかにして
10月18日(月)
野に放つ小さなやもりたくましく生き延びて復たわが家に来よ
守宮にも親があるべしその親こそマンション九階に登り来しなり
月のぼる直下の雲も夕映えて桃色に照りかがやく時あり
10月19日(火)
返り花のつつじの赤き色増えてゴミ捨て場前そこのみ異界
ぷよぷよのヤモリの子どもを放逐せるわれは死神か後悔がある
さねさし相模の秋の空模様曇ればとんびにカラスが挑む
10月20日(水)
相模線来ればたちまち飛び立てる鵯の一群朝寒き空
けなげにも百日紅なほ花赤き一木あり秋のひかりを浴びて
10月21日(木)
軍港はさざ波立ちて塵芥集まるところ上下してをり
横須賀にイージス艦は一隻のみ高きところを鳶が廻れる
10月22日(金)
小田急線に相模川橋梁を渡るとき雨が降り込む窓を流るる
閑散としたる車両に夕飯の買物の荷をぶら提げて乗る
10月23日(土)
ひよどりは鋭き声にわたりゆく木の間を抜けて明るき方へ
あけぼの杉の高きところに鵯はかしましく鳴く恋を呼ぶこゑ
椿の葉むら隠れにさみどりのつぼみかがやく秋の日差しに
ひよどりは椿の木にもしばし拠る木の間立ち潜きがさりごそり
10月24日(日)
中庭の木に拠る一羽のひよどりの鳴けば応ずる一羽来て鳴く
この空は太初の青さ。青深きところを二羽の鳶廻りをり
信濃より甥の手になるリンゴ来る歌いたくなる林檎うれしや
10月25日(月)
けやき樹の葉がおのづから落ちてくる時の定めに黄変をして
色変り落ちたる欅の葉を拾ふ葉つぱのいのち写さむとして
冬物のこげ茶のコートをあがなうて少しくこころ温かくなる
10月26日(火)
昨夜の雨ふりつづきなごりの水たまり晴れて青空と白雲映す
いづくからか枯れ葉、枯れ枝焚くけむり九階の窓にわづかに届く
うれしくて不覚にも涙を落すとき森羅万象に裛まれてゐる
10月27日(水)
秋の日のうつろひやすき空模様少時雨ふりまた傘たたむ
けさもまたメタセコイアにひよどりの一羽が鳴けば応ずる一羽
相模川三川合流域の空たかく監視してゐるか三羽の鳶は
10月28日(木)
さば喰へば鯖雲うかぶ秋の朝漂白の旅をいざなふ雲居
青空に半分残る月の色水母のやうなりビル街の上
しらさぎにとんび、穂すすき・泡立草――相模川をわたる秋の橋上
10月29日(金)
東洋の秋の紅葉の美しささくらもみぢ葉わが前に降る
黄の色のけやきもみぢは大風に翻弄されて宙に散らばる
10月30日(土)
海、空を遠く見てゐる清原果那『おかえりモネ』のその表情を好む
マンションのごみ集積場の目の前のさつき躑躅の花狂ひ咲き
秋うらら橋わたりなべて清らなり見よこの流れ青く澄みたる
10月31日(日)
刈り田のあとひこばえ伸びてみどり色曇天なれど心あかるむ
さねさしこの曇天に恥づることなきか腹の裡かつさばいて見せよ
十月尽この夕ぐれの寂しさは山の端じわじわ桃色に暮る