歌一覧(2021年9月)

9月1日(水)

ベランダに立てば見えたる電波塔九月一日ゆるぎなく立つ

震災の夜の混乱を思ひみるわが想像の及ばぬ闇あり

携帯電話に16屯車で行くといふ謎の男わが背後に存す

なにものかふりむけば男の気配なしさねさし曇天雲降りてくる

頼みおく『鏡花俳句集』けふとどく

9月2日(木)

(あした)から小雨にけぶる九月二日能登の羽咋へむかふかわれら

バイガイを肴に酒を飲む夜なり亡き友とへべれけになるまでを飲む

コバエを叩きつぶして苦虫をつぶすやうなる顔に苦笑す

9月3日(金)

屈託のわれにもあれば朝の雨老いて乾ける指の爪研ぐ

近ごろは老いの乾きに悩むなり水欲るではなく恋に乾けり

百日紅(さるすべり)の花をみあげる傘の内

9月4日(土)

数日ぶりの雨降らぬ朝うす雲を破りて覗く青き天空

天空を領する鳶の回遊を避けるか小鷺河辺を離る

うすら白き鳥の羽毛が散らばればここが狩場か餌食は土鳩

9月5日(日)

蕎麦を喰ふ店の木に鳴くあぶら蟬

悪夢より醒めてしばしの恐怖ありうしみつどきを妻は鼾けり

夏蒲団に入りて身じろぐ音の絶へじきに(やす)()す妻ねむる息

9月6日(月)

田村掘りに水あふれたり田をうるほす水なればわが心も潤ふ

けふもまたさねさし曇天十九度あたらしき秋のシャツ着て街へ

歩みゆく道に違ひはなけれども心惑はすおびへ湧きくる

百日紅の赤花落ちて秋の雨

9月7日(火)

さるすべりの花は百日咲くといふくれなゐの花いのちの色なり

くれなゐの花こぼれ散る芝のうへ幼き子らがふんばる四股踏む

四股踏んで笑顔の子らのたくましき二の腕ぷるぷるやはらかき肌

9月8日(水)

世の中の時の流れに抗ふかさるすべりの花なほ咲き誇る

稲の穂の稔りのうへをじぐざぐに遊弋をする塩辛とんぼ

9月9日(木)

重陽を祝ふみやびの失せたるか湯豆腐に酒すこし嗜む

菊人形の不気味さに怯え後ずさる()(わらは)はをりき菊棚の前

9月10日(金)

田の畔にひとり仰げる青空に侵入してくる夏の雲たち

包丁をにぎれば時の間シェフになるまづはじやがいも皮むく芽とる

人参をきざみながらもこの後の段取り案ずたのしきろかも

9月11日(土)

六十五年ただ茫洋と生きてきて忘れがたきことのひとつかこれも

三部屋を念入りに掃除機かけて後の疲弊深きは老いの証しか

絨毯は湿気を帯びて掃除機に吸へば重たし老いにはしんど

秋虫や昼にも鳴けば雨降り来

9月12日(日)

「天声人語」には俳句が紹介されていた。「木犀をみごもるまでに深く吸ふ」文挾(ふばさみ)()()()

木犀の花の香りに遠ざかり一人の死者のおもかげを追ふ

木犀の香りに深く息を吸ふいのちをみごもるまでに息吸ふ

聖女マグダラのマリアの像は手を合はすわれもいつしか手を合はせをり

9月13日(月)

萩に風はげしく揺れてわが行く手遮るやうに枝絡みあふ

白萩もまじへ萩くさゆれてゐる乃木大将の死にたる日なり

萩ゆれて昔の恋の捨てどころ

9月14日(火)

手もとから落ちたる包丁が足を刺す夢醒めてしばし痛みを(おぼ)

夢みればおほかた悪夢 鬱屈のあれば一杯の水を飲み干す

狂気秘めて街衢(ちまた)を歩む男ひとり背黒鶺鴒わが前をゆく

9月15日(水)

雨に濡れ車の尾燈の赤き色疾走してゆく闇を目に追ふ

田の中に()りてへうげて案山子どの稲の葉いまだ青きが残る

桃の実やけふは熟れたる神棚に

9月16日(木)

蛇口より下垂(しただ)る水のいつしかに冷たく感ず秋が来てゐる

目玉焼きにミニトマト添へ朝食はフランスパンを(ぢぢい)よろこぶ

四十雀鳴きつづけをり秋の昼

9月17日(金)

温かき煎茶を淹れて大ぶりの茶碗にいただく朝のさきはひ

コロナ禍に滅ぶるいのち非業なる最期なるべしたましひ怒れ

曼殊沙華花咲く道を病院へとぼとぼ歩むにここは異界か

9月18日(土)

十六年目の九月十七日ことしもまた病院へ行くエコーの検査

台風十四号の余波ならむ豪雨予報ありすでに雨降る

なす、トマトを色鉛筆にゑがきたり野菜のいのちを写さむとして

9月19日(日)

わが手なれど夜の孤独に組み合はす指組めばあるわづかの安心

雲間より青空覗く(あした)なりほがらほがらにカラス声上ぐ

市場には殺気立ちたる空気ありじやが芋、玉葱急ぎ手に取る

午後4時過ぎに彼岸の掃苔。墓山は暮れる前のまぶしい西日とすでに翳りはじめた山陰の暗さの対照が印象的であった。

山陰はすでに冷気を帯びたるに西日まぼしき山の午後四時

遠からずこの墓に入る老母の墓石を拭くその手小さし

9月20日(月)

暗夜のトイレの明りに照らされて(たふ)れし君の未練を思ふ

相模川上空を飛ぶ鵜と白鷺風あれば大きく羽搏きてゆく

濃みどりの葉々の上とぶ小灰(しじみ)(てふ)うすむらさきの小さき精霊

精霊たちが声をひそめて会話する風音ささやく森にまぎれて

9月21日(火)

清流に鮎の影ひかる川辺には蒼鷺がいま翔び立ちゆけり

アフリカの妖しき闇にひそむ神その像を写しこころあやしき

9月22日(水)

焼却台の上には骨灰とペースメーカーわがいのちの終焉(はて)寂しきものよ

骨灰と電子機器かこむ家族らのささめく笑ひあればまあよし

黄金(こがね)()の垂り穂のうへを蜻蛉(あきつ)ゆく秋あかね、しほからやがて鷺くる

夕映えは遠くに及ぶひむがしの雲いく片か薄き桃いろ

9月23日(木)

あけぼの杉の葉むら萎れてゆくやうな衰へ覚ゆ秋深くなる

バナナの皮むけばバナナに傷がある傷そのままにバナナ頬張る

用水の柵を把捉(つか)みて立つ鷺のすがた孤高なり秋の日浴びて

9月24日(金)

夜の闇にまなこ(つむ)りておもひをり高市(たけちの)黒人(くろひと)旅の瞑想

二連蝶、黄の蝶の舞ひゆく夏を惜しむか河畔の林の奥に

9月25日(土)

稲の穂の垂れて黄金の田の畦に白鷺、蒼鷺並び立ちをり

狐狸千載を経て怪をなすわが古ぎつねいまだ怪なさず

古杉老松隙間なく茂る山の奥老いたるきつねわがごときなり

土鳩鳴くこゑして安気なる(ひる)()より醒めたり土鳩此の地にもどる

9月26日(日)

サラダ菜にトマトにチーズ日曜の(じん)(でう)はおしゃれに妻とパン食む

大山のいただき侵す雲の先端(さき)触手のごとし雨気を孕みて

黒き鵜の橋のうへ飛ぶその空へ白鷺ひかりを帯びて羽搏く

書店にて一冊の詩集を求めたり小川亮作訳『ルバイヤート』を

9月27日(月)

さるすべりの花色褪せてこぼれ落つ大き自然のたゆたひ移る

鉛色の厚き曇りのすきまより覗く空ありたましひの色

土堤(どて)を遠ざかり来てなほ響くこころ揺すぶる荒き水音

9月28日(火)

朝日差し窓にまばゆきこの日々を嘉するか野の鳥がとび交ふ

納豆に焚きたて(めし)の湯気たてば妻はねばねばね引きてぞ喰らふ

納豆のねばねばはいのちのねばねばと糸引納豆いく度も練る

9月29日(水)

小田急線線路に沿うてすすき原しろがね色の揺らぎまぶしき

すすき穂に昼の日差しの酷なれば碧空へ発つさすらひ坊主

古代ペルーの神の横貌の青き色祈りのすがたを画帖に写す

9月30日(木)

水や風のごとくに人生流れゆき老いたれば地獄の底が現る

藤圭子のこゑのうるほひそのこぶしこころふるはす涙こぼるる

命火はいまだも消えぬさくら木にもみぢ葉赤きけふ九月尽