7月1日(木)
葬儀へと長野へ向かふ新幹線軽井沢あたり雲の中なり
佐久平へ抜ければ空は晴れてくる信濃の国にみどり溢るる
わが歌を応援してくれしひとりなり九十三歳妻の母死す
窓の外は栗の葉激しく揺れてゐる白骨になる時を待ちをり
頭骨の白く美しき。百歳に近づく母の気骨を示すか
7月2日(金)
地場産のうなぎの蒲焼を喰ふときの妻とむすめの殊更笑顔
葬儀の夜は上諏訪の湯にあたたまる露天湯の空に亡き人をおもふ
7月3日(土)
豪雨のために小田急線が停止せりそのせいか246号線車渋滞
採血は一時間ほど遅れたるされど診察に滞りなし
十年を軽く宣ふ若き医師
7月4日(日)
雨の日は気重になるかしとしとぴちやぴちやけふも石塚つつむ
雨あがり乾きはじめる土のうへ二歳の女の子の足踊りだす
7月5日(月)
パソコンにトロイの木馬が侵入しいたずらすればわれうろたふる
まんまとあはてさせられおたおたと老いの覚悟の腑甲斐なきもの
パソコンが固まればわれも固くなるパソコン弱者同調しやすき
7月6日(火)
空仰ぎ古家の媼が柄杓にて朝顔の土に水を打ちやる
朝顔のむらさきの花に水を打つ誘ひの水か雨また降り来
扇風機組み立ててゆく楽しさに夏の悦楽吹かれくるなり
7月7日(水)
あぢさゐの葉を打つ朝の雨しづく滴々と降り葉をこぼれゆく
あぢさゐの花の色かく薄れたり今年は雨の日多きがゆゑか
7月8日(木)
じゆくじゆくと傷をいたぶるごとくにて七月の雨いつまでも降る
色町は昔むかしに失くなりし川辺に立ちてさびしむ時あり
昼時は稽古の三味線の撥捌き少年の心震ひ初めにし
7月9日(金)
井の頭線神泉駅から登りゆく渋谷円山町迷宮の街
いくたびも円山町をさまよひて花街に遊ぶことはなかりき
徳利に老酒百本飲み干して昭和維新の志士に化身す
7月10日(土)
早苗田の梅雨の晴れ間を水流れさゐさゐとさゐさゐと稲ゆれてゐる
今日逢へるアメリカ・ザリガニ、青蛙、てんたう虫みなわが家族なり
あばら骨あらはに痩せて六十五歳つゆの晴れ間の田の径ゆく
7月11日(日)
猫町に迷ひ入りたき日があれば朔太郎さんわれを伴へ
突然に空気の密度が濃くなりて建物歪み猫、猫、また猫…
日曜の朝のパン屋は列になりわいわいがやがやパン焼く匂ひ
焼けたてのフランスパンを胸にして笑顔の少女小路に消ゆる
7月12日(月)
畦道はそろりそろりと参るべし足歩むたび蛙飛びだす
田に落ちて稲のあひだを泳ぎゆく小さき蛙苗間に隠る
ハガキ歌仙再開したり第三に悩み歳時記などを取りだす
7月13日(火)
雷鳴の轟き腹にこたへたりこの重圧はもの言ひがたし
雷のひかりの量の圧倒的力瞬時に暴発したり
雷神はけふも暴威を奮へるかひかり轟き尖塔を撃つ
文庫本を手に跳ぶやうなる美少女のマスクの内に何か言問ふ
7月14日(水)
九階の窓開放しねむりをればJR相模線朝からうるさい
梅しごとに酔うたるか笑ふ老いが独り
7月15日(木)
マンションの西側県道43号雨踏む車の音に目覚むる
桃いただき桃を食ぶる。皮むけば女体に戯くる悦びの如
桃の汁こぼして老いの力なり
天候の変化は老体にきびしきかいつもの距離を歩くに疲る
7月16日(金)
電柱にゐずまひ正しカラス棲る羽に傷もつカラス鳴きつつ
明日から三日梅干すとこころ決め壜の中なる梅をたしかむ
ことし梅たしかに壜の半分に浸かり干さるる時をこそ待て
7月17日(土)
ベランダにはすずめ来てゐる気配あり午前四時四十六分空明けてゐる
日を負うておのが影追ふ朝の町痩せたる老いの影も濃くして
梅の子よちやうど百箇の梅の実よわが手をかけし愛しき子らよ
黴を持つひとつの梅もわが子なり共に干すべし恥づることなし
7月18日(日)
鬱屈したる心にひかりがさすといふ人形師、摩耶の首を燃やせり
巴旦杏熟れて市場の籠にあり
田ゐの中稲葉そよげば白鷺の三羽つれだち夏空へ飛ぶ
7月19日(月)
四十雀ヒマラヤスギに来て鳴くか木立探れど姿は見えず
鵜と鷺とそして釣り師とそれぞれに位置棲み分けて鮎を狙へり
夏草の荒々しくて河川敷
7月20日(火)
相模川中流域の流れには蒼鷺二羽が参戦してゐる
梅干しを百箇干し終へ取り込みて器にならべおのづと笑ふ
7月21日(水)
地上階へ降れば三人の小学生ラジオ体操に出かけるところ
籠手、面と体育館より声のするところを抜けて接種会場へ
接種受けて一時間がたつ今のところ特に異常なし前回と同じ
7月22日(木)
注射打つ左上腕に痛みあり予防接種の翌日の朝
日の照りの痛きほど熱き七日へてむきだしの腕そこそこ赤き
雑草丈のびて猛暑の来たりけり
7月23日(金)
少女らは朝から遊ぶ。グリコ、またグリコそしてチヨコレイト
けたたましく鵯が鳴く中庭に鬼がふりむき達磨さんが転ぶ
人の世はやや複雑なる方程式組み合はせも解も一つではない
7月24日(土)
1927年のこの日、芥川龍之介自殺。
九階のベランダの高さに穂絮とぶ何の穂絮か白きふはふは
芥川龍之介句集を読む日暮れ
夏草の野蛮を愛す。濃みどりの草やぶはらにいのちたまはる
7月25日(日)
野あざみのとげとげしきに近づきてこの世唾棄することば吐きけり
これほどの暑さにいまだ蟬鳴かずこの世滅びむ予兆か知れず
蟬は地上に生まれることなくこれからは地下生活に馴致するべし
幸せは荷風俳句集ひらく時
7月26日(月)
稲の葉に首あたりまで隠れたり小鷺しづかに田を歩みをり
青き田に寄れば稲葉のそよぐ音、蛙鳴く声、夏の水流
用水の流れゆるやかに田に入れば稲の根元をしづかに動く
ベランダの壁にはりつくアブラゼミ近寄れば虚空へ声を残して
7月27日(火)
雨、風の強けれど朝から鳴くカラス ワタシはここよ、オレはここだよ
夕空は全天ピンクに暮れてゆく滅ぶるならばこんな日だらう
7月28日(水)
背丈程伸びたる草の原分けておのが隠り処夏の木の影
蘭陵王を舞ふ蜻蛉にはあらねども海老名のとんぼ田舎のとんぼ
江戸切子の黒きグラスを揺らし飲む酒にはあらず梅のエキスを
7月29日(木)
セルロイドの玩具のごとき空蟬をてのひらにして童の心
空高きところより川に着水する飛行技術を誇るかこの鵜
鵜と蒼鷺、小鷺に亀がそれぞれに流れを間に対峙してゐる
7月30日(金)
あけぼの杉の下に新しき蟬の穴近傍のつつじにうつせみ潜む
魚屋にあぶり太刀魚とみしまおこぜ珍なるさしみ買ひ求めくる
どしやぶりの雨にJR相模線イエローカーが待機してゐる
7月31日(土)
けさもまた烏が鳴くに目覚めたり世界どんみり空明けてくる
岸辺には流れ来たるかドラム缶青く塗られて幾日も経たる
蜂すらも女体にとおもふ。心悶え白昼を行く老いこそわれなれ