2025年2月8日(土)

今日も寒い。そして晴天。

  一九四五年、占領下の京都に起こることなど知らず

  ひょっとしたら原子爆弾を落とされしか京都盆地の地勢よろしき

  京都伏見には陸軍の基地ありさしずめ伏見は軍都ならむか

『論語』衞靈公一五 孔子曰く、「躬自から厚くして、薄く人を責むれば、則ち怨みに遠ざかる。」

われとわが身に深く責めて、人を責めるのをゆるくしていけば、怨んだり、怨まれたりから離れるものだ。

  人を責めず己みづから責め厚くすれば則ち怨みに遠し

『古事記歌謡』蓮田善明訳 五二 ウヂノ若郎子ノ皇子

水上からの鉤でその沈んだあたりを探ると、着物の下の鎧に引っかかり、それがかわらと鳴った。だから、そこを訶和羅崎と呼ぶようになった。その死骸を引き上げた時に、ウヂノ若郎子ノ皇子の歌。

千早人 宇治の渡に       宇治の渡りの岸の辺に
渡瀬(わたりせ)に立てる (あづさ)(ゆみ)(ま)(ゆみ)     (お)える梓と(まゆみ)の木
射伐(いき)らむと 心は(も)へど     その梓弓檀弓もて
射取らむと 心は思へど     射伐ろ射取ろうと思えども
本方(もとへ)は 君を思ひ(で)       つくづく弓を見てあれば 本べは先考(ちち)を思い出で
末方(すゑへ)は (いも)を思ひ出       末べは妹らを思い出で
(いら)なけく そこに思ひ出     あれやこれやといらいらと
かなしけく ここに思ひ出    あれやこれやに悲しくて
射伐らずぞ来る 梓弓檀弓    ついに射らずに帰り来る

オホヤマモリノ命の遺骸は那羅山に葬られた。

  ちはやぶる宇治の渡りに沈みたる大山守を惜しみて嘆く

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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