今日も寒い。そして晴天。
一九四五年、占領下の京都に起こることなど知らず
ひょっとしたら原子爆弾を落とされしか京都盆地の地勢よろしき
京都伏見には陸軍の基地ありさしずめ伏見は軍都ならむか
『論語』衞靈公一五 孔子曰く、「躬自から厚くして、薄く人を責むれば、則ち怨みに遠ざかる。」
われとわが身に深く責めて、人を責めるのをゆるくしていけば、怨んだり、怨まれたりから離れるものだ。
人を責めず己みづから責め厚くすれば則ち怨みに遠し
『古事記歌謡』蓮田善明訳 五二 ウヂノ若郎子ノ皇子
水上からの鉤でその沈んだあたりを探ると、着物の下の鎧に引っかかり、それがかわらと鳴った。だから、そこを訶和羅崎と呼ぶようになった。その死骸を引き上げた時に、ウヂノ若郎子ノ皇子の歌。
千早人 宇治の渡に 宇治の渡りの岸の辺に
渡瀬に立てる 梓弓檀弓 生える梓と檀の木
射伐らむと 心は思へど その梓弓檀弓もて
射取らむと 心は思へど 射伐ろ射取ろうと思えども
本方は 君を思ひ出 つくづく弓を見てあれば 本べは先考を思い出で
末方は 妹を思ひ出 末べは妹らを思い出で
苛なけく そこに思ひ出 あれやこれやといらいらと
かなしけく ここに思ひ出 あれやこれやに悲しくて
射伐らずぞ来る 梓弓檀弓 ついに射らずに帰り来る
オホヤマモリノ命の遺骸は那羅山に葬られた。
ちはやぶる宇治の渡りに沈みたる大山守を惜しみて嘆く