2024年9月9日(月)

朝方は涼しかったが、もう暑い。

松下竜一『狼煙を見よ』を読んだ。権力側から見た『狼の牙を折れ』に、いささか反意を覚えたので、この書物に強い同意を感じたのである。1974年の連続企業爆破事件をめぐる、とりわけ大道寺の家族に中心があり、ただ爆破の強烈さのみを責めるのでなく、その反植民地主義、反天皇制、反日本帝国に至る思想の苛烈さなどを問うて、時に私的なものも出て、これらの事件を振り返るには適書であり、私もあれこれ教わった。

  軽やかにティシュペーパーのとび交へる部屋内にたぬし踊れるごとく

  ティシュペーパーの二、三枚跳びてわが息塞ぐいきほひ

  ティシュペーパーを三枚つかみ老いわれの鼻水を拭くなさけなきもの

『論語』先進二二 子路問ふ。「聞くままに斯れ行なはんや。」孔子が言う。「父兄の在すこと有り。これを如何ぞ、其れ聞くままに斯れを行なはんや。」
冉有問ふ。「聞くままに斯れ行なはんや。」孔子が答えた。「聞くままに斯れを行なへ。」
公西華曰く。「由(子路)問ふに、聞くままに斯れ行なはんやと。すると孔子が言った。父兄の在すこと有と。求(冉有)問ふ、聞くままに斯れ行はんやと。すると孔子が、聞くままに斯れを行なへと。赤(公西華)や惑ふ。そこで敢て問ふ。そうすると孔子が言った。「求(冉有)は退く、故にこれを進む。由(子路)や人を兼ぬ。故にこれを退く。」

  教育者孔子のふるまひ子路と冉有同じ問ひすれど一様にあらず

『春秋の花』 中村憲吉
・梅雨雲にかすかなる明りをたもちたり雷ひくくなりて夏に近づく

『しがらみ』(1924)所収。
「梅雨あけ」八首(1921)の中の一首。前年1920年の連作「梅雨ぐもり」五首中には、
・梅雨ぐもりふかく続けり山かひに昨日も今日もひとつ河音
    ↓
・ひとしきりもりあがりくる雷雲のこのしづけさを肯はむとす 

明石海人『白描』1939 
・遠雷は底ごもりつつ 若者の耳吹きすぎて城を打つ風
                    佐佐木幸綱『群黎』1970

  低き雲にときをり光るものありて雷鳴ひびかす夏は来にけり

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA