2024年9月16日(月)

朝方は涼しいのだが、汗が多いからもう湿度が上がっているのだろう。

安東次男『藤原定家』読了。定家の八十首の短歌の注釈だが、本歌、類歌などを参考に挙げて読み解き、なるほど定家だと納得して、とても勉強になる。将来、『春秋の花』に次いでここでもこの定家の歌を考えたい。が、もう少し後のことになる。

  まだ落ちず赤花のこる百日紅指標のごとく角かどに立つ

  曲がるところに指標のやうに咲きさかる百日紅あり目指して歩む

  足弱のわれにも道に落ちてゐる赤き花見ゆその上を踏む 

『論語』巻第六 顔淵第十二 一 顔淵、仁を問ふ。孔子が言う。「己れを克めて礼に復るを仁と為す。一日己れを克めて礼に復れば、天下仁に帰す。仁を為すこと己れに由る。而して人に由らんや。」顔淵が「請ふ。其の目を問はん。」孔子が言った。「礼に非ざれば視ること勿れ、礼に非ざれば聴くこと勿れ、礼に非ざれば言ふこと勿れ、礼に非ざれば動くこと勿れ。」顔淵の言ふ。「回、不敏なりと雖ども、請ふ、斯の語を事とせん。」

  顔淵との「仁」のやりとり議論好きの孔子喜ぶ生気のありし

『春秋の花』 斎藤緑雨
・泣けといはれて山郭公、闇にうっかりなかれもせぬが、泣くなといはれりゃ猶せきあげて、なかずにゃ居られぬ川千鳥、涙ひとつがままならぬ。 『みだれ箱』1903所収小唄「くぜつ」。

  調子よくうなる広沢虎造の声に煽られ石松が泣く

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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