2024年9月15日(日)

暑い。

茨木のり子『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)。たしかにジュニアにだけは、勿体ない。素敵な現代詩の案内書だ。岸田衿子、石垣りん、永瀬清子などの女性の詩人をはじめ、圧巻は金子光晴「寂しさの歌」、谷川俊太郎「愛」あたりだろうか。たのしい読書だ。

  新宮より天王寺への夜行電車一晩過ごす寝たり起きたり

  天王寺より途中紀伊田辺を降りたるに南方熊楠を調べたりけり

  新宮に速玉大社を拝みて佐藤春夫の記念館ゆく

『論語』先進二六 子路・曾晳・冉由・公西華とがそばにいた。孔子が言った。「私はお前たちより少し年上だからといって、遠慮するな。ふだんいつもは『わたしの真価を知ってくれない。』といっているが、もしだれかお前たちのことを知って用いてくれたとしたら、どうするかな。」子路がいきなり答えていった。「千台を出す程度の国が大国の間にはさまり、戦争が起こり飢饉が重なるという場合に、由がそれを治めれば、三年もたったころには、勇気があって道をわきまえるようにさせることができる。」孔子は、笑った。「求、お前はどうだ。」答えて言った「六、七十里か五、六十里四方のところで求が治めれば、三年もたったころには人民を豊かにならせることができます。礼楽などのことは、それは君子にたのみます。」「赤、お前はどうだね。」お答えした。「できるというのでありません、学びたいのです。宗廟のつとめや諸侯の会合の時、端の服をきて章甫の冠をつけ、いささかの助け役になりたいものです。」

「点、お前はどうだ。」瑟をひいていたのがとまると、カタリとそれをおいて立ち上がり、お答えしていった、「三人のような立派なのと違いますが。」孔子は「気にすることはない。ただ、それぞれに抱負をのべるだけだ。」と言うと「春の終わりごろ、春着もすっかり整うと、五、六人の生年と六、七人の少年をともなって、沂水で湯浴みをし、雨乞いに舞う台地のあたりで涼みをして、歌いながら帰って参りましょう。」と言った。孔子はああと感嘆すると、「私は点に賛成するよ。」と言った。

三人が退出して、曾晳があとに残った。曾晳はたずねた。「あの三人のことばはどうなのでしょうか。」孔子は言った。「ただそれぞれに抱負を述べただけのことだ」「先生はなぜ由のことを笑ったのでしょうか。」「国を治めるには礼によるべきだが、そのことばは不躾だ。そのため笑ったのだ。求の場合でもやはり邦ではないか。六、七里か五、六十里四方で邦でないものがどうしてあろう。赤の場合でも、やはり邦ではないか。宗廟や会合が諸侯のことでないとすればどういうことに鳴ろうか。赤がいささかの助け役になるなら、だれが大きな役になれようか。」

  曾晳が最後に残り孔子に問ふつつましやかがたいせつなこと

『春秋の花』 藤原俊成
・むかし思ふ草の庵のよるの雨に涙な添へそ山ほととぎす 『新古今』巻三所収。

「字余り」の効果――成功的に用いられた場合、それらの詩歌にもたらす堂々たる調べ・沈着な風格――
・人に告ぐる悲しみならず秋草に息白じろと吐きにけるかも 島木赤彦『切火』
・霜百里舟中に我月を領す 与謝蕪村『蕪村句集』
・秋山に落つる黄葉しましくはな散り乱ひそ妹があたり見む 

柿本人麻呂『万葉集』巻二
・おきあかす秋のわかれの袖の露霜こそ結べ冬や来ぬらん 藤原俊成

  草の庵に夜の雨ふりて涙する遠く聞こゆる山ほととぎす

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA