暑い。
茨木のり子『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)。たしかにジュニアにだけは、勿体ない。素敵な現代詩の案内書だ。岸田衿子、石垣りん、永瀬清子などの女性の詩人をはじめ、圧巻は金子光晴「寂しさの歌」、谷川俊太郎「愛」あたりだろうか。たのしい読書だ。
新宮より天王寺への夜行電車一晩過ごす寝たり起きたり
天王寺より途中紀伊田辺を降りたるに南方熊楠を調べたりけり
新宮に速玉大社を拝みて佐藤春夫の記念館ゆく
『論語』先進二六 子路・曾晳・冉由・公西華とがそばにいた。孔子が言った。「私はお前たちより少し年上だからといって、遠慮するな。ふだんいつもは『わたしの真価を知ってくれない。』といっているが、もしだれかお前たちのことを知って用いてくれたとしたら、どうするかな。」子路がいきなり答えていった。「千台を出す程度の国が大国の間にはさまり、戦争が起こり飢饉が重なるという場合に、由がそれを治めれば、三年もたったころには、勇気があって道をわきまえるようにさせることができる。」孔子は、笑った。「求、お前はどうだ。」答えて言った「六、七十里か五、六十里四方のところで求が治めれば、三年もたったころには人民を豊かにならせることができます。礼楽などのことは、それは君子にたのみます。」「赤、お前はどうだね。」お答えした。「できるというのでありません、学びたいのです。宗廟のつとめや諸侯の会合の時、端の服をきて章甫の冠をつけ、いささかの助け役になりたいものです。」
「点、お前はどうだ。」瑟をひいていたのがとまると、カタリとそれをおいて立ち上がり、お答えしていった、「三人のような立派なのと違いますが。」孔子は「気にすることはない。ただ、それぞれに抱負をのべるだけだ。」と言うと「春の終わりごろ、春着もすっかり整うと、五、六人の生年と六、七人の少年をともなって、沂水で湯浴みをし、雨乞いに舞う台地のあたりで涼みをして、歌いながら帰って参りましょう。」と言った。孔子はああと感嘆すると、「私は点に賛成するよ。」と言った。
三人が退出して、曾晳があとに残った。曾晳はたずねた。「あの三人のことばはどうなのでしょうか。」孔子は言った。「ただそれぞれに抱負を述べただけのことだ」「先生はなぜ由のことを笑ったのでしょうか。」「国を治めるには礼によるべきだが、そのことばは不躾だ。そのため笑ったのだ。求の場合でもやはり邦ではないか。六、七里か五、六十里四方で邦でないものがどうしてあろう。赤の場合でも、やはり邦ではないか。宗廟や会合が諸侯のことでないとすればどういうことに鳴ろうか。赤がいささかの助け役になるなら、だれが大きな役になれようか。」
曾晳が最後に残り孔子に問ふつつましやかがたいせつなこと
『春秋の花』 藤原俊成
・むかし思ふ草の庵のよるの雨に涙な添へそ山ほととぎす 『新古今』巻三所収。
「字余り」の効果――成功的に用いられた場合、それらの詩歌にもたらす堂々たる調べ・沈着な風格――
・人に告ぐる悲しみならず秋草に息白じろと吐きにけるかも 島木赤彦『切火』
・霜百里舟中に我月を領す 与謝蕪村『蕪村句集』
・秋山に落つる黄葉しましくはな散り乱ひそ妹があたり見む
柿本人麻呂『万葉集』巻二
・おきあかす秋のわかれの袖の露霜こそ結べ冬や来ぬらん 藤原俊成
草の庵に夜の雨ふりて涙する遠く聞こゆる山ほととぎす