2024年9月17日(火)

朝方寒いくらいに涼しかったが、日中はまた暑いらしい。

  薄灰色 に大空は雲多くしてけさは晴れ間も見ることなしに

  雲の端より間違って落つるかポツンポツンは淋しくあらず

  パラソルを空にひらけば音がするタタタンタタタンタンタタタン

『論語』顔淵二 仲弓、仁を問ふ。孔子が言ふ。「門を出でては大賓を見るが如くし、民を使ふには大祭に承へまつるが如くす。己れの欲せざる所は人に施すこと勿れ。邦に在りて怨み無く、家に在りても怨み無し。」仲弓が言った。「雍、不敏なりと雖ども、
請ふ、斯の語を事とせん。

  仁といふは厄介なるに仲弓は不憫なれどもこの語に励まん

『春秋の花』 三島由紀夫
・跳ねてゐる魚は、何か烈しい歓喜に酔ひしれてゐるやうに思はれる。朝子は自分の不幸が不当な気がした。三島由紀夫『真夏の死』(1951)
・行きかけて朝子は振向いた。海は静かである。かなり陸に近い海面に、銀白色に跳躍する光がある。魚が跳ねてゐるのである。」に続けて掲出の一節に結びつく。

「時として凡百の作者が着目しない(着目し得ない)人世の瞬間的実相に着目して凡百の作者が書かない(書き得ない)品の高い何行かを描いた。三島の作は、もっぱらそこに存在理由を持つ。
・私にとっては作家の真の誠実とは、おのれの製作の幸福感に対する、あらはな、恥知らずの誠実に尽きると思はれる。(『日記』より)

  烈しい歓喜に酔ひて跳ぬる魚ただ恥知らずの誠実に跳ぶ

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA