2024年8月19日(月)

またまた暑い、暑い。

昨夜、岡本綺堂『青蛙堂鬼談』を読み終えた。なかなか怖い。

  めづらしく少しく早く人に会はず犬にも会はず孤独なる遊歩

  相模川原までがけふのわが歩き砂利の道三百メートルを含み

  朝に鳴く鳥の声愛らしく聞こえたりしばらく経てば鳴く鳥がある

『論語』先進二 孔子が言う。「陳や蔡について、私に言ったものは、もう門下にすっかりいなくなったね。」

陳は、今の河南省中部にあった小国。蔡はその南の国。孔子は流浪の途次このあたりで食糧も途絶え、苦しんだ。孔子64歳の頃。

  陳・蔡に苦しむことももうとうに誰も言はざる時経ちにけり

『百首でよむ「源氏物語」』第五十帖 東屋
・見し人の形代ならば身に添へて恋しき瀬々の撫でものにせむ 薫
・御禊川瀬々にいださん撫でものを身に添ふ影とたれか頼まむ 中の君

  形代を撫でものにせむ知り人を撫でたるものは頼りとやせむ

『春秋の歌』 紀長谷雄

夜の雨(ひそ)かに湿(うるほ)して/曽波(そうは)の眼新たに(こ)びたり

暁の風(ゆる)く吹いて/不言(ふげん)の口先づ(ゑ)めり

『和漢朗詠集』所集。「真のエロティシズム表現は、掲出詩のごとく、さわやかにしてなまめかしくあらなばならない。」
・九野民也作「かぼちゃのような峰々のふもと/やまめうぐいすが瀬々に泳ぎ/とんびが風に乗って鳴いている/山腹は雛壇よろしく桃林」(1995)

「瀬瀬走るやまめうぐひのうろくづの美しき春の山ざくら花 若山牧水

  夜の雨ひそかに濡らす草林に分け入らむとすうるほいのもと

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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