今日もまた暑いのだ。
貫井徳郎『悪の芽』を読む。つらい読書であり、何度もページを閉じた。384、389pの言葉が大切だろう。ここでは詳しくは書けないが、貫井ミステリイ、人間社会に潜む悪の芽を考えさせられる。悪の芽は、私にも確実にあるのだ。
蔦の蔓這ひだす河原土堤をゆくのらりくらりと足弱われは
石礫の埋もれし道を歩くなり百日紅の花散るを踏み
朝のひかり浴びつつ河原土堤をゆく大山につらなる山やまを見る
『論語』郷黨一九 朋友死して帰する所なし。孔子が言う。「我に於いて殯せよ。朋友の贈りものは、車馬と雖ども、祭の肉に非ざれば、拝せず。」
朋友帰して弔ひの場所なくばわが家の内に殯するべし
『百首でよむ「源氏物語」』第四十四帖 竹河
・折りてみばいとど匂ひもまさるやとすこし色めけ梅の初花 宰相の君(玉蔓派)
・よそにてはもぎ木なりとや定むらんしたに匂へる梅の初花 薫
*
・人はみな花に心を移すらむひとりぞまどふ春の夜の闇 蔵人少将
人はみなあらたなる花に心移すわれのみひとり闇夜にまどふ
『春秋の花』 土岐善麿
・いまもなほ、青き顔して、革命を、ひとり説くらむ。ひさしく逢はず。(『黄昏に』1912「啄木追懐」)
・杜かげに新しき家のまた建つや往きかひしげき人の寂しさ
革命を今の世に説く啄木のその覚悟やある頼もしきもの