2024年8月10日(土)

朝はいくらかは涼しかった。五時過ぎに、少しだけ歩く。

  黄金蟲の廊下にしづかに死せるありきみに満足なる生ありしかな

  まだ死んではゐない蟬がゐる触るればじじつとまだ生きてゐる

  あいかはらずみみずの自殺つづきをりなまなましきよ死にゆくみみず

『論語』郷黨一六 疾あるに、君これを視れば、東首して朝服を加へ、紳を拖く。(病気をして主君が見まいに来た時には、東枕にして朝廷の礼服を上にかけて広帯をひきのべられた。)これも孔子の考える「礼」の類であろう。

  疾にあるわれを主君が見舞ふとき東向きに寝、朝服に帯

『百首でよむ「源氏物語」』 雲隠 第四十二帖「匂兵部卿」の前に題だけの「雲隠」巻があって、光源氏の死が暗示される。「雲隠」は、五十四帖の内には入らない。本文もない。だから歌もない。

  題のみに文章もなくて暗示のみ光源氏は雲隠れたまふ

『春秋の花』春の部 若山牧水
・しみじみとけふ降る雨はきさらぎの春のはじめの雨にあらずや 『くろ土』

「恐ろしゅう上出来」の一首。
・朝酒はやめむ昼ざけせんもなしゆふがたばかり少し飲ましめ

牧水の歌はいいなあ。

  けふ雨は驟雨のごとく激しくて土をたたきてふりやまずけり

昨日の夕方、激しい雨が降った。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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