朝から暑い。これからもっと熱くなる。37℃といっている。
狂ひやすき季節をすぎてしかしなほこの濃みどりの木々に溺るる
まみどりの木々に溺るるごとくなりあつしあつしの樹林出でたり
樹々の森に深く入り来て戸惑ふはここは迷宮出口はあらず
『論語』子罕二〇 孔子が言った。「これに語げて惰らざる者は、其れ回なるか。」
弟子のうちの回に対して言いへらく告げておこたらずざる者こそ回なり
『正徹物語』186 「落花」という題で、このように詠んだ。
・さけば散る夜のまの花の夢のうちにやがてまぎれぬ峯の白雲 草根集3098
幽玄体の歌である。幽玄とは、心の中にはあるが詞では表現できない。月に薄雲がかぶさっているのや、山の紅葉に秋の霧がかかっている趣向を、幽玄とする。これはどこが幽玄なのかと問われても、どこがそうだとは言えない。これを理解しない人は、月はこうこうと輝いて、一片の雲もない空にあるのが素晴らしいと、定めて言うことであろう。幽玄という美は、およそどこがどう趣味が良いとも、絶妙であるとも言えないところによさがある。
さて「夢のうちにやがてまぎれぬ」は、源氏物語の歌である。光源氏が、藤壺中宮に逢って、見ても又逢ふ夜稀なる夢のうちにやがてなぎるるうき身ともがな 光源氏
と詠んだのも、幽玄の姿である。「見ても又逢うふ夜稀なる」とは、以前も逢わず、以後も逢えまいので、「逢ふ夜稀なる」と言う。この夢が覚めないままで、夢を見ながら命が尽きたら、そのまま全ては闇に消えるはずである。「夢のうち」とは、逢瀬を指している。「あなたに逢ったと見えているこの夢の中に、そのまま我が身も没して、夢とともに果ててしまえよ」というのだ。藤壺の返歌には、
・世がたりに人やつたへんたぐひなき憂き身をさめぬ夢になしても 藤壺
とある。藤壺は光源氏にとっては継母である。それなのにこんな事があったので、たとえ情けない自分の身は夢の中に消えたとしても、不名誉な評判はとどまって、後世の語り草とされるに違いないという。光源氏の「夢のうちにやがてまぎるる」という意を、しっかり受けとめて詠んだのだ。
私の歌の「さけば散る夜のまの花の夢のうちに」とは、花が咲いたか見ると、夜の間にはや散っている。夜が明けてみると、雲は夢に没せずそこにあるので、「「やがてまぎれぬ峯の白雲」と詠んだのだ。「夢のうち」とは咲いて散るまでを指す。
いくたびも逢ひたくならむ藤壺をおもふ心にさくら咲き散る
『百首でよむ「源氏物語」』第十二帖 須磨 光源氏は須磨に蟄居することになる。
紫の上との歌のやりとり。
・身はかくてさすらへぬとも君があたり去らぬ鏡の影は薄れじ 光源氏
・別れても影だにとまるものならば鏡を見てもなぐさめてまし 紫の上
須磨へ落ちるまえに花散里を訪ね、別れの歌を交す。
・月影の宿れる袖はせばくともとめても見ばや飽かぬ光を 花散里
・行きつめぐりつゐにすむべき月影のしばし曇らむ空なながめそ 光源氏
再び紫の上と歌を交す。
・生ける世の別れを知らで契りつつ命を人に限りけるかな 光源氏
・をしからぬ命に代へて目の前の別れをしばしとどめてしかな 紫の上
須磨にて
・雲近く飛びかふ鶴も空に見よ我れは春日のくもりなき身ぞ 光源氏
・やほよろづ神もあはれと思ふらむをかせる罪のそれとなければ 光源氏
光源氏は、この須磨流しを謂れののないものと考えていたのだ。
いはれなき罪なきわが身とおもへばこそ鶴鳴きわたれ高空に飛べ