2024年7月7日(日)

今日も暑くなりそうだ。また歩きに出かけられそうもない。

伊勢谷武『アマテラスの暗号』上・下を読み終える。帯の踊り文句がまったく役立たぬほど面白くなかった。ユダヤの民の信仰と日本の伝統信仰が似ているらしいが、それほど信憑性も感じられないし、刺客やスパイも嘘っぽい。また図表や写真、系図などが逆にうざったく感じた。でも、読み切ってしまったのだ。

  もんもんとものの芽どきをすぎたれど狂ひやすきはおのづからなる

  さつきつつじの枝刈りとられその花の萎びたるをも摘まれたりける

  あけぼの杉の枝それぞれに風にゆれ葉々の動きもそれぞれなりき

『論語』子罕一九 孔子が言った。「たとえば山を作るようなもの。まだもう一もっこというところを完成しないのも、止めたのは私である。たとえば土地をならすようなもの。一もっこをあけただけでも、その進んだのは私が歩いたのである。

ただの一もっこが功の分かれめ。それに停止も進歩も自分の責任で人ごとではない。

  何を為すにも一簣が肝心その一簣をつづける止めるもわがことなりき

『正徹物語』184(昨日間違えて184について書いてしまったので、今日は184)

初心の間は、し尽くせないほどの稽古をすべきだ。一夜百首、一日千首などの速連歌をも詠むことである。また五首二首を、五日、六日にじっくり思案することもあるべきだ。このように馬を疾走させるように速詠歌を詠んだり、逆に手綱を引っ張るようにして沈思して詠んだりすると、テンポの伸び縮みが自由にできるようになって、名人になる。最初から一首だけでも良い歌を詠もうとすると、一首二首すら詠むこともできず、向上することはない。

  とにもかくにも多くの歌をつくること素早く歌をつくることなり

『百首でよむ「源氏物語」』第十一帖 花散里
麗景院女御を訪ねてゆく途中、花散里を詠む。
・いにしへのこと語らへばほととぎすいかに知りてか古声のする 『古今和歌六帖』
・たちばなの香をなつかしみほととぎす花散る里をたづねてぞとふ 光源氏
・人目なく荒れたる宿はたちばなの花こそ軒のつまとなりけれ 麗景院

  なつかしきたちばなの香をかぎやれば来し方おもふ女御を愛す

  なつかしきたちばなの香をかぎやれば来し方おもふ女御を愛す

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA