2024年7月3日(水)

朝は涼しいけれど、後は暑い。

  花期終へしパティオはまみどりの世界なりそれぞれの木にそれぞれのみどり

  よく見ればすずめの死骸細き黄色の肢よこたへて

  いつのまにかすずめの死骸がもち去られなにごともなし歩道のうへには

『論語』子罕一五 孔子が言った。「吾れ衛より魯に反り、然る後に楽正しく、雅(『詩経』の分類。朝廷の雅楽の歌)・頌(宗廟の歌)各々其の所を得たり。」

  魯に帰り楽も正しく雅も頌もところを得たりわがなすところ

『正徹物語』181 「早苗」という題で、このように詠んだ。
・旅行けばさおりの田歌国により所につけて声ぞかはれる 草根集3540

「さおり」は五月におるるなり。「旅行けば」は、いかがなものかと思われる詞であるが、古い歌に詠んでいる詞なので、さしつかえない。

  土地により田植えの歌もあれこれとあるものならむ声も変はりて

『百首でよむ「源氏物語」』第7帖 紅葉賀
朱雀院へ桐壺帝が赴き、宴を催す。が、藤壺には源氏を見られないだろうと宮中でリハーサル行なわせる。青海波を舞った源氏は光り輝いていた。
・もの思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の袖うちふりし心知りきや 光源氏
・唐人の袖ふることはとほけれど立ち居につけてあはれとは見き 藤壺

  あやまちとは思へど義理の母を恋ふ光源氏のすばらしきすがた

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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