2024年7月27日(土)

今日も暑い、熱い。

  猿田彦にみちびかれこの世に生れしか杜の大木に降りて来たれり

  真みどりの葉のうちに隠るる猿田彦神のすがたのおぼろに見えず

  いづれあの世へおさらばをするわれならむ少し怯えて死の国のこと

『論語』郷黨五 圭(諸侯が天子から与えられた)を執れば、鞠躬如たり。勝えざる如し。上ぐることは揖するが如く、下すことは授かる如し。勃如として戦色。足は蹜蹜如として循ふこと有り。享礼には容色あり。私覿(してき)には愉愉如たり。

使者として他国にあるときのふるまい。おそらく孔子のことであろう。

  享の儀式には容色ありて私覿には愉愉如たり孔子のふるまひ

『正徹日記』205 「たちぬはぬ日」とは、七月七日だけは、織女は機をも織らず、裁縫もしない。他の時は、三世常住、機を織るのである。

  七夕は裁ち縫はぬ日その他は機織り、機織る休む間もなく

『百首でよむ「源氏物語」』第三十一帖 真木柱
髭黒大将と玉蔓
・心さへ空に乱れし雪もよにひとり冴えつる片敷の袖 髭黒大将

返歌はない。
・ひとりゐてこがるる胸の苦しきに思ひあまれる炎とぞ見し 木工の君

式部卿のむすめ、父親の顔を見ないまま、柱のひび割れの中へ押し込んだ。
・いまはとて宿離れぬとも馴れ来つる真木の柱はわれを忘るな 真木柱
・馴れきとは思ひ出づとも何により立ちとまるべき真木の柱ぞ 北の方

  宿離れてゆきにしわれを思ひ出でよ真木の柱に隠さうものを

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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