朝は風が通って、いくらか涼しい。午前9時過ぎには暑い、暑い。
けさも地にだんご虫ゐるつまづきさうになるも虫は潰さず
鎧を丸めだんごのごときこの虫の沈黙こそが千金の価値
草莽を転がりだせるだんご虫敵とおもへばたちまち鎧ふ
『論語』子罕二九 孔子が言った。「歳寒くして、然る後に松柏の彫むに後るることを知る。」人も危難の時にはじめて真価がよく分かる。
歳寒くしてその後に松柏散らずみどり残れり
『正徹物語』197 慈鎮和尚の弟、奈良の一乗院門跡であった。十五夜の名に恥じない明月のもと、中門に佇んでいた時、力者法師がたくさん庭を掃いていたのが、「御同輩、どのように明月の今夜は慈円が歌を詠むだろうか」などといい合っている。さて、明朝、一乗院門跡は慈円のもとに書状を出した。その文面は、次のようなものであった。「恐れながら、心中隠さず申し上げます。天台座主、多くの門徒に仰がれるトップながら、真言・天台を研鑽し、教学を学ばれているならばともかく、毎日和歌に狂っていられることは、仏門のしきたりに背き、賤しい俗人と同じに見えますこと、遺憾です。こちらに使っているものどもが、昨夜の月を見てあなたのことを噂していました。まして世間の巷説は、どんなにかと推量します。これ以後は和歌をしばらく遠慮されるがいいと存じます。」と、こまごまと諫状を差し上げたので、慈円はその頃天王寺別当でもあって、寺に出かけられていたので、そちらへ一乗院門跡の書状をもって参上したところ、返事には「嬉しく拝見いたしました」とあって、さらに一首の歌を書いていました。
皆人に一のくせあるぞとよこれをば許せ敷嶋の道
と自筆で書かれたので、一乗院門跡は、「どうにもならぬ」匙を投げた。
慈円を沙汰の限りと言ひ放つ一乗院門跡正しきものか
『百首でよむ「源氏物語」』第二十三帖 初音
六条院の紫の上の居所。
・薄氷とけぬる池の鏡には世に曇りなき影ぞ並べる 光源氏
・曇りなき池の鏡によろづ代をすむべき影ぞしるく見えける 紫の上
明石の姫君の居室から。
・年月をまつに引かれてふる人にけふ鶯の初音聞かせよ 明石の御方
・引きわかれ年は経れども鶯の巣立ちし松の根を忘れめや 明石の御方
年月の松に誘はれ鶯の初音聞かせよ人は古れども