2024年7月19日(金)

朝は風が通って、いくらか涼しい。午前9時過ぎには暑い、暑い。

  けさも地にだんご虫ゐるつまづきさうになるも虫は潰さず

  鎧を丸めだんごのごときこの虫の沈黙こそが千金の価値

  草莽を転がりだせるだんご虫敵とおもへばたちまち鎧ふ

『論語』子罕二九 孔子が言った。「歳寒くして、然る後に松柏の彫むに後るることを知る。」人も危難の時にはじめて真価がよく分かる。

  歳寒くしてその後に松柏散らずみどり残れり

『正徹物語』197 慈鎮和尚の弟、奈良の一乗院門跡であった。十五夜の名に恥じない明月のもと、中門に佇んでいた時、力者法師がたくさん庭を掃いていたのが、「御同輩、どのように明月の今夜は慈円が歌を詠むだろうか」などといい合っている。さて、明朝、一乗院門跡は慈円のもとに書状を出した。その文面は、次のようなものであった。「恐れながら、心中隠さず申し上げます。天台座主、多くの門徒に仰がれるトップながら、真言・天台を研鑽し、教学を学ばれているならばともかく、毎日和歌に狂っていられることは、仏門のしきたりに背き、賤しい俗人と同じに見えますこと、遺憾です。こちらに使っているものどもが、昨夜の月を見てあなたのことを噂していました。まして世間の巷説は、どんなにかと推量します。これ以後は和歌をしばらく遠慮されるがいいと存じます。」と、こまごまと諫状を差し上げたので、慈円はその頃天王寺別当でもあって、寺に出かけられていたので、そちらへ一乗院門跡の書状をもって参上したところ、返事には「嬉しく拝見いたしました」とあって、さらに一首の歌を書いていました。

皆人に一のくせあるぞとよこれをば許せ敷嶋の道
と自筆で書かれたので、一乗院門跡は、「どうにもならぬ」匙を投げた。

  慈円を沙汰の限りと言ひ放つ一乗院門跡正しきものか

『百首でよむ「源氏物語」』第二十三帖 初音

六条院の紫の上の居所。
・薄氷とけぬる池の鏡には世に曇りなき影ぞ並べる 光源氏
・曇りなき池の鏡によろづ代をすむべき影ぞしるく見えける 紫の上

明石の姫君の居室から。
・年月をまつに引かれてふる人にけふ鶯の初音聞かせよ 明石の御方
・引きわかれ年は経れども鶯の巣立ちし松の根を忘れめや 明石の御方

  年月の松に誘はれ鶯の初音聞かせよ人は古れども

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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