朝から曇り。ずっと夜まで曇って雨になるらしい。鬱陶しいが、意外と涼しい。
花々を落してさみどりの色かがやく躑躅、皐月のいのちの色なり
あけぼの杉のさみどりの葉々を揺らしたる中庭とほる風やありけむ
さみどり色に木々のかがやくときならむさつき、みなづきすぎてゆくなり
『論語』泰伯一二 孔子の言。「三年学びて穀に至らざるは、得やすからざるのみ。」
「穀」は俸禄の意。つまり三年学んで仕官しない人は、得がたいものだ。
三年を学びて仕官せざること得がたしといふさらに学ばむ
『正徹物語』157 「山に寄する恋」という題で、このように詠んだ。
・逢坂の嵐をいたみ越えかねて関のと山に消ゆるうき雲
ある者が「この歌は、恋の歌のように思えない」と言ったとか。そこで「このように風の歌として詠みならわしているものであります」と答えられたとか。邪魔者を風に見立てて恋歌を詠むではないかとう弁解らしい。
さみどりの山に寄せたる思ひあり雲がくるとも消ゆるぞ雲は
『伊勢物語』百七段 高貴なる男がいた。その邸にいる女に、内記(中務省の役人)である藤原敏行が求婚した。女はまだ若く、文も、言葉もつたないし、ましてや歌など作れない。そこで男が代りに歌の下書きを書いて、その歌を敏行に届けた。敏行は感じ入った。そしてこう詠んだ。
・つれづれのながめにまさる涙川袖のみひちて逢ふよしもなし
男は、ふたたび女に代わって返した。
・浅みこそ袖はひつらめ涙川身さへながると聞かば頼まむ
返歌を読み、敏行はさらに感じ入った。以来ずっと、今に至るまで、文を巻いて文箱にしまってあるということだ。敏行と女が情をかわした後に、敏行はまた文を出した。
「あなたのところに行きたいのですが、雨が降りそうで心配です。私に運があるのでしたら、きっと雨は降らないでしょう」男は、また女に代わって詠んだ。
・かずかずに思ひ思はず問ひがたみ身を知る雨は降りぞまされる
歌を読み、敏行は、蓑笠を用意する間もあらばこそ、濡れながら、あわててやってきたのだった。
これこそが歌の力か敏行は雨に濡れても女のもとへ