2024年6月5日(水)

朝からいい天気である。

  存在の耐へられない軽さに遊弋し街を俯瞰すプラハの街を

  藤原定家の歌の本歌取り、類歌を探り巧みなり安東(あん)次男(つぐ)の書は

  宇野浩二の狂、芥川龍之介の自死への道。広津和郎が詳しくしるす

「かりん」の下村道子さんが亡くなった。私が、歌をはじめた頃、その歌に影響された。「かりん」6月号に追悼されている。「下村道子作品抄(田村広志選)」

  ・ほんだわら踏めば小さき音のする幼き恋のありし浜辺に

  ・地図に見る二センチの距離望郷の思いにかおる菜の花畑

  ・ほの青き切符にのせて発たしむる遊離魂雪ふるかなた

  ・ねじひとつ転がして知る秋近き実験台の下のゆうやみ

  ・胸のごときふくらみをもつフラスコのかすか陰りて風の音する

  ・嶺岡の山吹きおろすからっ風わが哀しみの内側を剝ぐ

  ・優れたる論とは思わねど論文の数にて量られる身のために書く

  ・教授・助教授・助手の感情閉じこめていずれのドアも無表情なり

  ・食にまつわる悲しき歴史語らえば静まりて深海のごとき教室

  ・見えぬ色を分光光度計で測りいる思えば信じていることに似て

  ・筵巻きのお仙を落としし断崖に村人は悔いて地蔵遺しし

  ・白鷺は一本足にて川に立つ白磁のようなからだ支えて

  ・ひっそりと母の通夜する梅洞寺夜の気凍りて霜となる音

  ・悲しまざるというにあらざり穏やかな父の死に顔 ごくろうさまと

  ・リハビリに精出し歩き絵を描くといいにし二日後君は逝きたる

  ・アトリエにスーツ一着掛けおき帰ることなき人に帰せたく

  ・ふくろうの鳴く谷戸に住み見定めん一人になりしわれの時間を

  ・かたわらにありたる人は風となり大夕焼けに向かうとき来る

  ・かの夜にて母はその母と会いたるか春近き日の山は霞めり

  ・寄せてくる芒の穂波しなやかに輝きて晩年の光となりぬ

 ということで『論語』以下はお休みです。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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